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ノンフィクション作家・星野博美が、100円ショップで感じた「後ろめたさ」

2020/03/19

「何気ない日常のなかに静かなドラマを見つけるのが抜群にうまい」(斎藤美奈子)

「私は星野博美という人の、目線の先をいつも追いたいのである」(角田光代)

  その的確な洞察力と端正な文体で、同業の作家や評論家から絶大な支持を受けているノンフィクション作家・星野博美。大宅賞受賞作『転がる香港に苔は生えない』を発表した前後の初期作品群が、このほど電子書籍化された。『謝々!チャイニーズ』『銭湯の女神』『のりたまと煙突』の3冊は、長らく絶版状態で入手困難だったもの。その中から、『銭湯の女神』所収の一篇をご紹介する。他のエッセイストやノンフィクションライターとはひと味もふた味も違う、独自の星野ワールドを堪能してほしい。

星野博美氏

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100円の重み

 100円ショップが盛況だ。何年か前、実家のある戸越銀座に100円ショップができた時、こんなに安っぽい物を一体誰が買うのだろう、と正直いって思った。戸越銀座、武蔵小山には雨後のたけのこのように100円ショップが続々とオープンした。こんなにはやるのはうちの近所だけだろうと思いきや、いまや100円ショップは我々の生活にじわじわ浸透し、まるで日本そのものが100円ショップになってしまったようだ。

 100円ショップに行くと、私はどうにもいいがたい後ろめたさに襲われる。物には最低限の価値というものがあり、その価値は自分で金を払って覚えていくものである。私たちはよく、安く買った物を無駄に使い、高い金を出した物は大切にする。どんな物でも大切に使わなければいけない、と理屈ではわかっていても、出した金額によって、その物に接する態度を無意識のうちに選択している。自分に利益をもたらしてくれる、つまり利用価値の高い人間には平身低頭で接し、そうではない人間──利用価値の低い人間──は邪険にする、そんな経験はないだろうか? 物に対しても人に対しても、同じようなことをしている。

©iStock.com

100円ショップは悲しい商品の墓場

 しばらく香港に暮らし、東西ドイツ統一直後のベルリンに2年ほど住んだ後、再び香港に戻ってきた友達がこんなことをいっていた。

「ベルリンで困ったのは、いい加減な物が手に入らないこと。私は2年で帰るんだから、ぺかぺかのアルミ製の鍋やヤカンやどうでもいいようなナイフやフォークが欲しいのに、金物屋に行けば『一生壊れません』ってマイスターが勧める、100マルク(当時約8000円)ぐらいする立派な鍋しか売ってない。さすがドイツ、職人技術の高さと誇りはすごいなと思う。でも私は香港に住んでたでしょ。香港って、腹が立つぐらい粗悪な中国製品って死ぬほどあったじゃない。そういう物が欲しいのよ。でも考えてみたら、すぐ壊れてもいいからとりあえず安い物が欲しいっていうのは、アジア的な考え方なのかな、とその時思った」

 100円ショップはいうなれば、あらかじめ邪険にされる運命を負わされた悲しい商品の墓場である。私が店内で感じる後ろめたさは、恐らく墓場を歩いているような悲しみなのだと思う。

 そうはいっても、経済的必要性から100円ショップを利用することがある。最寄りの銭湯には風呂椅子がないため、椅子に座りたければマイ椅子を持参しなければならないが、西友で売っている質の良い風呂椅子980円と100円ショップの風呂椅子を頭の中で並べた時、100円で買えるという誘惑を撃退するのは容易ではない。