子どもをなんだと思っているのだろう
筆者は、子どものころから家庭内で暴力を受けながら育ちました。
中学に入学するころにはストレスから顔の右半分が麻痺したようになり、笑顔のない学生時代を過ごさなくてはなりませんでした。人と関わるのが怖く、家族ですら食事を共にしたことがほとんどなかったため、大勢の人がいる教室で昼食をとることに強い不安を感じ、毎日毎日、手や口が震えて食べ物をこぼしてしまうのが辛くて仕方なかったのを覚えています。
家庭内で問題を抱えている子どもが外に向かって助けを求めるのは、相当なリスクをともなう行為です。失敗すればまた家庭内に引き戻され、さらに過酷な仕打ちを受ける可能性すらあるからです。
それほど勇気を振り絞って深夜に一人で街をさまよい、ようやく助けを求めた相手に門前払いをされた子どもは、一体どんな気持ちで暗闇に佇んでいたのでしょうか。
子ども時代に受けた傷は、大人になれば自然になくなるようなものではありません。誰もが、無事に大人になれるわけでもありません。
「神戸市の責任だと重く受け止めている」
子どもの命を、福祉を、大人たちが、ましてや行政や児童福祉にかかわる者たちが軽視するなど、断じて許してはならないことです。
神戸市家庭支援課は、筆者の取材に「今回の一件は、委託元である神戸市の責任だと重く受け止めている。現在、外部の有識者を交えて夜間・休日の来所者対応の現状について分析、検証を進めている。再発防止のため、4月中旬ごろを目処に具体的な方針が固まれば発表する予定」とコメントしました。
今回のような問題が二度と起きないよう、神戸市には批判を真摯に受け止めてほしい。その上で、事件が発生した経緯を丁寧に検証し、是正措置を取ることを強く望みます。
写真=吉川ばんび