サッチーが逮捕された時も……
一方で、沙知代さんの言動が物議を醸すようなことも多かった。1996年、新進党から衆院選に出馬したものの、落選。その後、学歴詐称疑惑などが発覚し、1999年頃からは、浅香光代さんとのバトルが連日ワイドショーを賑わせた。2001年には法人税法違反(脱税)などの疑いで、東京地検特捜部に逮捕(のちに有罪が確定)。克也さんは、当時務めていた阪神監督の辞任を余儀なくされてしまう。
「先日、フジテレビが放送してくれた父の追悼番組を見ていたら、『ああ、あの頃はすごかったよなぁ』って苦笑いするような出来事がたくさん出てきました。選挙のバッシングとか、浅香光代さんのこととか、脱税のこととかね。父は『女のせいで二度も監督をクビになったのは、自分だけだ』とボヤいていましたが、お袋のことは常に庇っていました。経歴についても父は知らなかったのですが、そうまでして自分と一緒になりたかったんだろうと解釈したようです。父はどんな時でもお袋の味方でした」
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「文藝春秋」4月号ならびに「文藝春秋 電子版」掲載の「監督とお袋は最高の夫婦だった」では、克則コーチが、克也さんと過ごした最後の日々、“おしどり夫婦”だった2人の激しい喧嘩、父が監督を務めるヤクルトに入団した時の苦悩、現役時代につけた約30冊の“野村ノート”などについて語っている。
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追悼野村克也 監督とお袋は最高の夫婦だった