追悼野村克也 監督とお袋は最高の夫婦だった

野村 克則 楽天1軍作戦コーチ
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 南海時代に戦後初の3冠王を獲得し、ヤクルト、阪神、楽天などの監督を歴任した野村克也さんが2月11日午前、虚血性心不全で亡くなった。享年84。最愛の妻・沙知代さん(享年85)が2017年12月に亡くなってから、約2年2カ月後のことだった。

 現在、楽天の1軍作戦コーチを務めている息子の克則さん(46)が、そんな両親への想いの丈を明かした――。

「オレはまだ生きているぞ」

 今でも、家に帰ったら父がいるんじゃないか、何かボヤくんじゃないかって思うんです。本当に突然でしたし、心の準備もできていなかった。僕の中では、父であるより先に「野村克也」という偉大な野球人。そんな方が亡くなるはずがないって気がして仕方ないんですよ。

 父はよく「長い闘病の末に死ぬのと、サッチーのように突然死ぬのと、どっちがいいんだろうか」と口にしていました。お袋もホントにポックリ逝った感じでしたが、父も「苦しんで死にたくないな」とずっと言っていました。虚血性心不全という死因はお袋と同じなんですが、風呂場で倒れてそのまま苦しまずに逝けたことは、願いが叶って良かったのかなと思っています。

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野村克則氏

 1月末、チームのキャンプで沖縄へ向かう際に「行ってくるよ」と挨拶して、「厳しい戦いになるな。頑張れ」と言われて握手をしたのが、父との最後になりました。もう84歳だったし、足腰もだいぶ弱ってきたので、完全な健康体ではありませんでしたが、直前まで仕事もこなして普通に暮らしていたんです。

 1月20日には、僕が車椅子を押して、ヤクルトのOB会総会に参加しました。父は、新監督の高津臣吾さんに「僕に用事ないですか? ヘッドコーチを喜んでやりますよ」と声を掛けていましたね。半分、本気だったのかもしれません(笑)。

 次の日も金田正一さんのお別れの会だった。この日も僕が車椅子を押して、長嶋茂雄さんや王貞治さんにお目にかかりました。父は同じ学年の長嶋さんに「おい、頑張ってるか。オレはまだ生きてるぞ。まだまだ頑張るぞ」と声を掛けていて、長嶋さんも「お互い、頑張ろう」と返して下さった。まだまだ父は元気で生きていくつもりでいたんです。

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球場に設置された献花台

「男っていうのは本当に弱い」

 ただ、お袋が2年前に亡くなってからというもの、父は「寂しい、寂しい」と言うだけで、「男っていうのは本当に弱い。1人じゃ何もできない」とボヤくようになりました。それで、僕と妻の発案で、お袋が長年使っていた部屋を父の寝室に模様替えしたんです。お袋の写真に囲まれていれば、少しでも寂しくなくなるかもしれないと思ってね。

 僕ら夫婦は今、父の家の敷地に自宅を建てて、住んでいます。引っ越したのは、4、5年ほど前だったかな。両親2人とも年齢的な問題があったし、体調の心配をしていた時に、お袋から「敷地に家を建てたらどうか」と提案があったんです。父は最初「庭が狭くなるから嫌だ」とボヤいていたようですが、結果としては良かった。お袋が急に倒れて亡くなった時も、その後の父の生活も、今回のことも、隣に住んでいたから早め早めに対応できました。

 父とお袋は、世間からはいろいろ言われましたが、お互いが必要とする相手だったんだと思います。すごくバランスの取れた、いい夫婦でした。片方は強気で、もう片方は裏から支えるような感じでね。

 父は、お袋のことを「プラス思考で、すべて自己中心のピッチャータイプ」と評していました。自分がマイナス思考なのは、ピッチャーがサイン通りに投げてくるか分からないから不安ばかりのキャッチャー病のせいだそうです。「グラウンドでもキャッチャー。家でもキャッチャー。違うのは、外では監督だけど、家では支配下選手だってところ」なんて、よくボヤいていましたね(笑)。

 これも父自身が言っていましたけど、ウチのお袋に合わせてやっていける夫は、世界中に父しかいなかったと思います。選手兼監督だった南海をクビになる時、後援会長から「野球を取るか女を取るか」と迫られ、「仕事は世の中にたくさんあるけど、沙知代は世界に1人しかいません」と答えたセリフが有名ですよね。難しい選択だったと思いますけれど、間違いではなかったんでしょう。

 もちろん、時には派手な喧嘩をすることもありました。父はお袋に携帯電話を7個、真っ2つに折られているんです。飲み屋のお姉ちゃんから電話がかかってきた時、たまたま携帯が置いてあると、お袋が出てしまう。「あんた誰?」と始まって、あとはものすごい迫力です。電話を切ると、そのままへし折ってしまう。それが全部で7個(笑)。何歳になっても女性なんですよ。それだけ、仲がいい夫婦だったんだと思います。

どんな時もお袋を庇った

 でも、ちょうど先日、フジテレビが放送してくれた父の追悼番組を見ていたら、「ああ、あの頃はすごかったよなぁ」って苦笑いするような出来事がたくさん出てきました。選挙のバッシングとか、浅香光代さんのこととか、脱税のこととかね。

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野村佐知代氏
沙知代さんは1996年、新進党から衆院選に出馬したものの、落選。その後、学歴詐称疑惑などが発覚し、99年頃からは、女優・浅香光代さんとのバトルが連日ワイドショーを賑わせた。01年には、法人税法違反(脱税)などの疑いで逮捕。夫の克也さんは、当時務めていた阪神監督の辞任を余儀なくされてしまう。

 父は「女のせいで2度も監督をクビになったのは、自分だけだ」とボヤいていましたが、お袋のことは常に庇っていました。経歴についても父は知らなかったのですが、そうまでして自分と一緒になりたかったんだろうと解釈したようです。父はどんな時でもお袋の味方でした。

 何か問題が起こるたびに、僕までいろいろなことを書かれ、いろいろなことを言われました。当時はお袋とも、ずいぶん言い合いもしましたね。本当に気持ちが滅入って、グレたり引きこもりになってもおかしくなかったと思います。

 でも、そうならなかった。それはやっぱり野球があったおかげです。野球があったから、前向きに頑張ろうと思えたんです。

父の反対を押し切って

 僕にとって、プロ野球選手は子どもの頃からの夢でした。ただ、小さい頃は父もまだ現役だったので、家にはあまりいなかった。しつけは全部お袋。よく殴られました。フライパンで叩かれたりもしましたね(笑)。

 父と濃い時間を過ごしたのは、中学時代かな。中学2年秋から3年の夏の大会までリトルシニアの「港東ムース」というチームで、父が監督だったんです。「ひたすらバットを振れ」と言われ、毎日1000本ぐらい素振りしたり、重いバットを使ったり。

 中学生には難しい技術を教えても仕方ないし、数多く打ったり投げたりする経験を積ませるためだったのでしょう。父は「あの時の少年野球の指導は勉強になった」と言っていましたが、感覚を言葉で伝える難しさがあったからだと思います。僕らも野球教室をやりますけど、子どもたちに分かりやすく野球を教えるのって、とても難しいんです。プロ入りするレベルの選手なら分かるようなことでも、1から言葉にして伝えなければいけないわけですから。

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source : 文藝春秋 2020年4月号

genre : エンタメ スポーツ