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現在の高輪皇族邸は、73年に高松宮夫妻のために建設されたものだ。2004年に喜久子妃が亡くなるまで高松宮邸として使用されていたが、その後は無人のまま宮内庁が管理。仮住まいの計画が決まったことを受け、建物の改修や新たな事務棟の建設などが行われた。
【画像】上皇ご夫妻が転居される高輪皇族邸の玄関
「高輪皇族邸がある土地は元々、明治天皇の第6、第7皇女子である昌子、房子両内親王が住むため1891(明治24)年に造営された高輪御殿があった場所です。昭和天皇のご生涯を宮内庁がまとめた『昭和天皇実録』によりますと、1913(大正2)年3月21日に高輪御殿は皇太子時代の昭和天皇のために東宮仮御所と定められ、翌年2月24日には正式に東宮御所に改められています。
しかし、関東大震災により全壊してしまい、31年に高松宮邸の本館と別館として再建されました。本館は終戦後、改装されて国の迎賓施設や結婚披露宴会場として利用された『光輪閣』となりました。上皇陛下の妹に当たる島津貴子さんは60年3月10日に、この光輪閣で結婚式を挙げています。光輪閣は老朽化のため72年にその役目を終えて解体され、その跡地に現在の高輪皇族邸となる建物が建設されて、高松宮ご夫妻が別館からこちらに移られたというわけです」(同前)
皇室とベルギー王室の架け橋となった、高松宮喜久子さま
上皇・上皇后両陛下は皇太子夫妻時代からベルギーを度々訪れ、ベルギー王室、それもとりわけ故ボードワン国王と故ファビオラ王妃夫妻と親交を深めてこられた。実は高松宮家の故喜久子妃は、皇室とベルギー王室の架け橋となった人物として知られる。