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「喜久子さまは、高松宮さまが日本・ベルギー協会の名誉総裁を務められていた関係から、1970年の大阪万博で来日したボードワン国王の弟・アルベール氏に対して、国王から昭和天皇と香淳皇后へ招待状を送ってほしいと持ちかけられています。終戦後初の昭和天皇の外国訪問を実現させたいというお考えと、香淳皇后に初の外遊をプレゼントしたいというお気持ちからだったといいます。
ボードワン国王は64年に来日していたことから、その答礼という形で大義名分も立つということで、71年に昭和天皇と香淳皇后のベルギー、英国、西ドイツ(当時)の公式歴訪が実現したのです。その縁で皇室とベルギー王室は親交を深め、上皇・上皇后両陛下は93年8月にボードワン元国王の葬儀参列のため彼の地を訪れられ、2014年12月には上皇后陛下が単身でファビオラ元王妃の葬儀参列のため、再びベルギーの地を踏まれているのです」(同前)
喜久子さまは女性天皇容認のお考えを示されていた
故喜久子妃は天皇家の長女・愛子さまが誕生された直後の2002年1月に発行された雑誌へ、愛子さまの誕生を祝う手記を寄せ、女性天皇の即位を容認する考えを示したことでもよく知られる。
天皇・皇后として皇統の安定的継承の問題に悩まれてきた上皇・上皇后両陛下のよき理解者でもあり、ベルギー王室との架け橋でもあった故喜久子妃との思い出に、両陛下は高輪皇族邸で思いを馳せられることになるのだろう。