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《新たな抗争の予兆か》山口組弘道会傘下で大量の「破門状」「除籍状」が出されていた

2020/03/21

source : 週刊文春デジタル

genre : ニュース, 社会

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「高山組」は、本家の若頭である高山が結成した弘道会内の中核組織で、現在は3代目となっている。「福島連合」は昨年11月、札幌市内で神戸山口組傘下組織の事務所に車両で突入する事件を引き起こしている。

 多くの暴力団幹部は、「不祥事があれば破門、絶縁、除籍などは当然のことでよくあること。珍しいことではない」と口を揃える。しかし、今回は短期間で大量の処分者が弘道会内で出ていたことに、警察当局も注目する事態となった。

 それは山口組の歴史上の、内部対立をめぐる「重大事件」を思い起こさせる不穏な動きであり、新たな抗争事件の予兆を感じさせるものだったからだ。

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6代目山口組組長の司忍 ©時事通信社

「山一抗争」「宅見勝射殺事件」の前例

 山口組の歴史上の重大事件とは、4代目組長の座をめぐる「山一抗争」と、5代目時代の若頭だった「宅見勝射殺事件」のことだ。

 神戸の地方組織に過ぎなかった山口組を全国規模の巨大組織へと拡大させた3代目組長の田岡一雄が1981年に死去した後、84年に4代目組長に竹中正久が就任すると、それに反対するグループが「一和会」を結成して離脱。山口組は分裂して対立抗争事件が続発するなか、竹中は85年1月に一和会の暗殺部隊に射殺されることになる。一連の事件は「山一抗争」と呼ばれ、双方で25人が死亡、70人以上が重軽傷を負った。

 もう一つの重大事件は、5代目体制当時の1997年8月、若頭だった宅見勝が神戸市内で射殺された。事件を引き起こしたのは宅見と対立していた同じ山口組内の有力組織、中野会だった。

5代目体制当時、若頭だった宅見勝 ©時事通信社

 いずれの事件も犯行グループが結成されたが、4代目組長の竹中が射殺された事件では一和会傘下の別々の組織から、若頭だった宅見射殺事件でも同様に中野会傘下の別々の組織からメンバーが集められた。

 メンバーはお互いにほぼ初対面、氏素性を知らない者同士だった。これは警察の捜査が進み一部が摘発された場合に、一網打尽にグループ全体が摘発されることを阻止することが目的だった。実態が解明されないようにするとともに、上層部からの犯行の指示についても捜査を阻む意図があったとされている。