スタンドは寒々していた
試合前の首脳陣・選手取材も時間が区切られる。取材者と選手は一定の距離を保つよう要請されており、要するに遠目から話しかける。非常に談話が取りにくい。ここは各社腕の見せどころであり、知恵のしぼりどころだが、最初はもっと厳戒態勢だったそうだ。3月最初のオープン戦(オリックス戦)、取材陣はグラウンドレベルに降りられず、スタンドから見守るゾーニングだった。
受付を済ませ、プレスワーキングルームで知り合いの記者に声をかけた後、エレベータでネット裏最上段の記者席へ移動する。天守閣から野球を見下ろすような席だ。ベイスターズが打撃練習をしている。HBCラジオの中継ブースでスタッフに挨拶した後、無人のスタンドを一周してみた。
レフト寄りの内野スタンドに全道の幼稚園・学校の名前が書き込まれた「卒園・卒業おめでとうビッグフラッグ」が掲示されている。レフトスタンドの座席にはファンから送られたメッセージボードがプリントアウトされ、一枚一枚貼られている。「ファンの思い」はこうして球場に来ているんだけど、それが逆に皆、ここに来られないという事実を際立たせる。いやぁ、つらいなぁ。これが無観客試合か。
スタンドは寒々していた。札幌ドームの座席はグレーだ。それがベイスターズの打撃練習が終わって、ファイターズのノックになってもぜんぜん客入れしないんだよ。いつもならユニホームを着込んだ家族連れや、一眼レフを持ったお嬢さんをあちこちで見かける時間帯だ。
つまり、人間が足りない
放送開始の時刻が来て、HBC渕上紘行アナとブースに入った。僕はここも「野球の現場」だなと思った。ラジオを聴いている人にとっては渕上さんと僕が語ることが野球そのものだ。野球の楽しさから1ミリもブレたくない。僕は「ビヤヌエバの快音を待つ心のゆとり」を語り、「グダグダな試合になりかけの絶妙な味わい」を語り、「走塁をおろそかにすべきでない」と警句を発し、つまり、オープン戦を心から堪能した。
マイクに向かいながらずっと思ってたことがある。プロ野球は野球だけやっててもプロ野球にならない。応援が必要だ。観客が必要だ。それがこんなにはっきりわかる機会もない。投手が四球を連発したら球場はどよめかないといけない。試合が壊れかけたらざわざわ来なきゃいけない。清宮幸太郎がサヨナラ打を決めたらバンザーイとかウヒャーとか大騒ぎしなきゃおかしいし、反対サイドはため息が出なきゃおかしい。生きた反応がないのだ。聴こえるのはベンチの発する声だけ。
日本ハム球団はレフトスタンド上方のコンコースにスピーカーを並べ、「チキチキバンバン」「北の国から」チャンステーマの応援音声を流すという試みをこのベイスターズ戦から始めた。ネットを通じファンに音声データを送ってもらい、それを重ねて加工したものだ。機械的といえば機械的だが、得点圏に走者をおいた場面ではやっぱりチャンテが聴きたい。
だけど応援音声だけじゃないのだ。人いきれの熱気、呼吸。笑い声。選手を見つめるまなざし。つまり、人間が足りない。人間がいなきゃがらんどうの野球だ。
これまで「応援なんかして何になるんだろう」「自分が球場に行って何になるんだろう」と考えたこともあった。チームが連敗してるときなど、本当に無力に思えたのだ。いや実際、無力は無力なんだろうけどね。プロ野球は野球やってるだけじゃプロ野球にならない。それが身にしみた。一日も早い正常化を願っている。
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