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2020/03/22

 思えばここ数年、オウム真理教の麻原彰晃(本名・松本智津夫)元死刑囚の三女や和歌山毒物カレー事件の林眞須美死刑囚の長男といった、死刑囚の子供による手記があいついで刊行されている。それら手記では、子供にしか知りえない事件当事者の素顔や、家族に対するマスコミや世間の態度があきらかにされ、事件について新たな視点を与えた。いま、ドラマで加害者家族が扱われる背景には、こうした現実の家族の声も受けとめながら、どんな凶悪事件であれ、多面的にとらえようという時代の流れもあるのだろう。

 後者の手記『もう逃げない。――いままで黙っていた「家族」のこと』(ビジネス社)では、林眞須美の長男が母親の逮捕後、「殺人犯」の子供として世間から差別され、ときには暴力を振るわれたりもした過酷な体験がつづられている。『テセウスの船』でも、文吾の逮捕後、家族が悲惨な運命をたどる様子が丁寧に描かれてはいるが、手記の記述とくらべると、ドラマの描写はソフトに思えてしまう。ただ、親が子供にかける愛情など、事件が起きても変わらない家族の関係には、手記も『テセウスの船』も通底するものを感じる。

『テセウスの船』は、ミステリーやサスペンスの要素を盛り込みつつ、その主眼は家族の再生にこそある(その証拠に、主題歌「あなたがいることで」をBGMに各話の山場となるのはいつも、文吾や心の家族の絆が確認される場面だ)。再生の前提となる試練として、父親が凶悪事件の犯人になってしまうというのはこれ以上ない設定だろう。特殊な設定ではあるが、文吾の一家も事件前は普通の幸せな家族だった。ドラマではその点が強調され、だからこそ事件後の家族の転落ぶりが印象に残る。考えてみれば、どんな家族でも、きっかけが何であれ突如として危機に陥る可能性はあるわけで、このドラマはそうした普遍性を描き出そうとしているともいえる。

『テセウスの船』主人公の父親にして、事件の容疑者になってしまう警官・佐野文吾を演じる鈴木亮平 ©文藝春秋

和歌山毒物カレー事件、ロス疑惑……マスコミの反省

 ドラマで加害者家族が題材にとりあげられる理由には、もうひとつ、メディア側の反省という意味合いもあるのではないか。『テセウスの船』の先週(3月15日)放送の第9話では、文吾が殺人犯だという疑惑が持ち上がるや、逮捕前にもかかわらず彼の自宅にマスコミが押しかける。その描写は、和歌山毒物カレー事件、あるいは1980年代のロス疑惑や豊田商事事件などで問題となったメディアスクラムを思い起こさせた。

 容疑者の家族にマスコミが殺到する描写は、『テセウスの船』以前にもたびたびドラマで見た記憶がある。しかし、TBSはかつてオウム真理教をめぐりビデオ問題を起こした過去を持つだけに、同局の看板というべき日曜劇場のドラマで、メディアの狂騒が描かれるのは意義深いと思う。

なぜ原作は北海道なのにドラマは宮城なのか

 現実のできごととの関連でいえば、『テセウスの船』には東日本大震災を想起させる場面もあった。ドラマがスタートして以来、原作では北海道だった舞台がドラマでは宮城県に、無差別殺人事件の発生する時期も6月から3月に変更されているのが、筆者にはずっと疑問だった。