TBS系のドラマ『テセウスの船』(日曜夜9時)が今夜、最終回を迎える。本作の軸となるのは、1989年、平成改元からまもなくして宮城・音臼村の小学校で起こった無差別大量殺人だ。事件の容疑者として地元の駐在所の警官・佐野文吾(鈴木亮平)が逮捕され、裁判で死刑が確定する。文吾の次男・田村心(しん/竹内涼真)は事件直後に生まれたが、殺人犯とされた父のために母・姉・兄とともに世間から非難を浴び続け、素性を隠しての生活を余儀なくされる。だが、文吾は一貫して無実を訴え、再審請求を続けていた。心の妻・由紀(上野樹里)は、愛する夫の父を信じたいとの思いから、こつこつと事件についてノートにまとめ、心に託す。由紀はそれから娘を生んだ直後に急死。残された心は、妻の思いに応え、父と自分たち家族の人生をめちゃくちゃにした事件に向き合うべく音臼村を訪れる。そこで突如として2020年の現代から31年前にタイムスリップし、事件が起こる直前のその村で若き日の父と家族に遭遇するのだった――。
『テセウスの船』が思い出させる“平成の凶悪事件”
音臼村も、そこで起こった事件も、もちろん架空の場所・できごとである(ちなみに音臼村は、原作コミックでは北海道という設定になっている)。それでも、劇中の事件は、平成に起こったさまざまな凶悪事件を思い起こさせる。たとえば、小学校で起こった大量無差別殺人というと、2001年の大阪教育大附属池田小学校での児童殺傷事件がどうしても思い浮かぶ。また、物語が進むにつれ犯人が少年だとあきらかにな
いずれの事件も、犯人の動機に不可解な部分が残るという点で共通する。これらにかぎらず、平成の31年間にはそうした事件が頻発した。『テセウスの船』でも、実行犯は一応現れたとはいえ、その裏にはさらに黒幕の存在がいるらしく、いまだ動機は判然としない。すべては最終回であきらかになるはずだが、果たしてどんな結末が待ち受けているのだろうか。ネットではすでに事件の
加害者家族がドラマの題材になる理由
『テセウスの船』でいまひとつ特筆すべきは、凶悪事件の加害者側の家族を主役に据えたことだ。奇しくも、同じクールに日本テレビ系で放送された『知らなくていいコト』も、吉高由里子演じるヒロインが、自分の父親がじつはかつて世間を騒がせた殺人犯だと知ったことから物語が展開された。
ここへ来て、事件の加害者家族がドラマの題材に採用されているのは、なぜだろうか?