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 この貸ジマについて、国粋会が山口組に加入したからといって「返してくれ」となれば、途端に山口組国粋会と住吉会の間でトラブルとなることは間違いない。しかし、返却を求める方の理屈が成り立つとも言える話だった。

 警察庁幹部は次のように振り返る。

「山口組が東京に進出するにあたり、貸ジマの返却という要求を押し通そうとしたとみられる。こうした絵を描いた、つまり計画を立てたのは高山だろう。司の参謀として、高山が智謀を巡らせた戦略だったのではないか。これには暴力団の界隈の者も『このような手があったか』と舌を巻いた」

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住吉会との暗闘

 前出の警察庁組織犯罪対策部幹部も「そもそも、司を6代目に押し上げる工作をしていたのは高山。6代目体制が発足直後に国粋会が加入していることからしても、高山はかなり前からこうしたことを考えていて6代目発足後、すぐに実行したのだろう」と推測する。

 住吉会との間で交渉が行われていたのか、それとも何事もなく推移していたのかははっきりしないが、2007年2月の白昼、多くの人が行きかう東京・西麻布で住吉会幹部が射殺される衝撃的な事件が発生する。警視庁は徹底的な捜査を進め、後に複数の山口組系組員たちを逮捕、これ以上の対立抗争を起こさせず封じ込めた。

住吉会幹部が射殺された車両を調べる捜査員(東京・西麻布、2007年2月) ©共同通信社

 この問題の延長線の出来事と推測されるが、住吉会幹部射殺事件から10日後、国粋会会長の工藤和義が自殺したのだ。

「貸ジマを『住吉会から返してもらえ』と迫られ、うまく問題を解決できなかったことが自殺の動機なのか、それとも山口組内でもう少しよい待遇で迎えられるはずだったのに期待ほどではなかったのか、自殺してしまったので本心は分からない」(警察庁幹部)

 国粋会の加入から約3カ月後、銃刀法違反罪に問われ裁判中だったが、保釈されていた司について最高裁は上告を棄却し懲役6年が確定した。司は収監されることになる。

 しかし、その後も高山は若頭として司が留守の山口組の運営で采配を振り続ける。5代目体制当時から在籍していた最高幹部らを事実上追放するなど強権的な権力を発動し、6代目体制を強固なものにしていく。(敬称略)

後編に続く