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 前後して高山は山口組内部で「上納金」と呼ばれる会費の徴収のほかに、2次団体となる直参の直系組織から新たな資金の徴収を始めた。ミネラルウォーターや米などの食料品や石鹸などの日用雑貨を、半ば押し売りのように販売を始めた。6代目体制になり上納金が増額されたうえ日用品の販売。直参組長たちの経済的な負担は増えた。

 山口組幹部は、「ある直参の事務所を訪ねたら、玄関先にミネラルウォーターの箱が山積みになっていた。『これはあれか?』と聞いたところ、『そうそう、あれだよ』との返事があった。本家から送られてくる水だった。どの組も水や米、その他の雑貨の処理に困っていた。飲食店などに回すことが出来るところはよいが、中には、『雑貨屋でもやるか』と冗談を言っていたところもあった」と話す。

 事態は冗談では済まず、一部の古参幹部の間では積もっていた不満が少しずつ表面化することとなり、武闘派であり経済ヤクザとしても名が知られた最高幹部の事実上の追放劇が展開されることとなる。

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高山若頭の出所を伝える「山口組新報」(2019年12月1日号)

後藤組追放の契機となったゴルフコンペ

 直参組織の間で経済的な負担が増して行き、鬱積した不満が高まり不穏な雰囲気が漂うなか、衝撃的な記事が週刊新潮の2008年10月9日号に掲載された。

〈大物「暴力団組長」 誕生日コンペ&パーティーに「細川たかし」「小林旭」「角川博」「松原のぶえ」〉

 記事は3ページにわたり、暴力団組長の誕生日を祝うゴルフコンペと夕方からのパーティーの様子を詳述。記事内では暴力団組長について山口組系暴力団A組長と記述し、「裏社会ではその名が轟く“大物組長”」と紹介。ゴルフには約140人が参加し、パーティーには約200人が出席。会場に来ていた細川たかしがアルコールのため真っ赤になった顔で持ち歌の「北酒場」を熱唱したという。

 この記事の主人公となっていた「A組長」とあるのは、後藤組組長の後藤忠政であることは山口組だけでなく、暴力団業界を少しでも知る者たちにはすぐに知れ渡った。

 後藤組の名は、暴力団を批判的に描いた映画「ミンボーの女」を制作した映画監督、伊丹十三を襲撃した事件で世間に響き渡った。1992年5月、後藤組組員らが刃物で伊丹の顔を切りつける残忍手口だった。際立つ暴力性から世間から危険視される存在となっていた。

 後藤が直参に取り立てられたのは4代目山口組時代で、山口組側として山一抗争にも参加している。最高幹部として若頭補佐に昇格したのは5代目時代の2002年7月だ。武闘派としてだけでなく、不動産など表経済にも進出し巨額のシノギを手にし、5代目組長の渡辺には上納金以上の資金を提供していたとされる。6代目の時代となると古参の最高幹部だった。

 当時の状況を知る山口組幹部が語る。

「後藤さんからすると、高山の頭は『枝(2次団体)の子(分)』という感覚だったのでは。かつてだったら、『おい、高山!』と呼びつければ、『何でしょう、おじさん』となる立場だった。それが6代目体制になったら、高山さんがナンバー2の本家の頭になった。こういうことは企業でも組織の若返り、新陳代謝のようなものかもしれないが」