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Kōki,は「もう二度と(コンクールには)でねえ!」

「フルートは姉妹ともに習っていたのですが、あの姉妹は個人レッスンをしている先生の門下生の中でもずば抜けて上手かった。当時からすでに毎日練習していたし、他の子のレッスンよりもはるかに多い回数をこなしていました。先生は『一日たりとも練習を欠かすのはありえない』という教えの人。旅行の時も部屋で練習できるように、ホテルは角部屋をとることを勧められるし、どこへ行くにもフルートを持っていかなければならない。先生の教えを守ってレッスンをしていればプロになるしかないくらいの練習量でした」(別の学校関係者)

 幼いながらにひたむきにフルートと向き合っていた心美。しかし中学校最後のコンクールでは思ったような結果が出なかった。

「中学生最後の大会も『山野楽器』主催のコンクールでした。心美ちゃんは1年かけて入念に準備をしていました。しかし結果は入賞止まりで最優秀賞をとれなかった。妹の光希ちゃんも同じように入賞止まりで、光希ちゃんは入賞の賞状を2つに破いて『もう二度と(コンクールには)でねえ!』と激昂。コンクール後に審査員の先生がみんなの前で1曲吹いてくれたときも『ヘッタクソ!』と怒っていたと聞きました。光希ちゃんは翌年のコンクールにはもう出場しませんでした。心美ちゃんは光希ちゃんほどあからさまな態度はとっていませんでしたが、相当なショックを受けていたようです。

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Cocomi(左)とKōki,(3月19日Kōki,本人のInstagramより)

 心美ちゃんは一時期、高校はコンセルヴァトワール(パリ国立高等音楽・舞踏学校)に行きたいと周囲に話していましたが、それも夢で終わってしまった」(コンクール関係者)

厳戒態勢の中で通っていた声優のレッスン

 中学3年生の少女にとって、大きな挫折だったのだろう。この頃から、Cocomiは週に一度、静香の紹介で”ある場所“に通い出した。

「心美さんが通っていたのは、ベテラン人気声優の個人レッスンです。通っていたのは中学3年生から高校1年生の頃。母親としては、娘に気分転換させてあげたいという気持ちもあったのかもしれません。送り迎えは静香さんがされていて、業界にも箝口令を敷き、厳戒態勢の中で通っていました」(木村家と交流のある人物)

工藤静香(左)とKōki,。写真には「by sis」と添えられ、Cocomiが撮影されたと紹介されている (3月19日Kōki,本人のInstagramより)

 Part1で報じたように、当時、心美が通っていたインターナショナルスクールはほとんどが外国籍の生徒。習い事も多く多忙で、友達作りにも苦労していたようだ。声優に興味を持ったのも、そんな日々でのことだったという。

「心美ちゃんは外で遊ぶより昔からアニメや少年漫画が好きで、授業をさぼって単行本のマンガを読んでいることもありました。少女漫画っぽい絵を描いている姿も見たことがあります。フルートの教室では演奏が上手なので“カースト”は上でしたが、他のお友達から浮いているところはありました。一生懸命に練習していただけに、下手な子を下に見てしまうところがあった」(前出・学校関係者)

 しかしそれはCocomiだけに原因があったわけではない。