すっかり渦中の人となった「河井案里」とは何者か。

 選挙戦をめぐる疑惑が報じられる前の8月6日、フリーライターの筆者は参院議員として当選直後の河井氏と向き合っていた。その単独取材のメモを改めてシェアしたい。

本当に政治というのは忍耐ですね

常井 前回の参院選は、2009年の県知事選で負けて以来の全県選挙ですよね。知事選の後、自民党に復党して県議に戻るまでってどのぐらいあったんでしたっけ。

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河井 1年半ぐらい。

常井 何をやっていたんですか?

河井 大佛次郎の『天皇の世紀』とか読んで。大佛次郎の描写ってすごいんですよ。それを読んでメソメソしたりとか。

常井 じゃあ、基本的に家の中に閉じこもって。

河井 ずっと家の中にいて、でも、「世の中っていうのは広いし、空は青いんだ」って自分に言い聞かせてね。私は36歳の時に社会的に抹殺されたし、これはもう政治の世界でやっていくことはできないと思って、もう引退せざるを得ないかなと思っていたんだけど、でも、地元の人が「やっぱりバッジを付けなきゃ駄目だよ」って言ってくれて。

常井 へえ。

参院選後、初登院する河井案里氏 ©AFLO

河井 「政治っていうのは我慢だよ」って主人は言っていて。「あんたに何が分かるのよ」と思ってたけど。でも、本当に政治というのは忍耐ですね。

やっぱり自分でやりたいなという気持ちが出てきて

常井 体を壊さなくてよかったですね。

河井 やっぱり知事選は、やっぱりビジョンがあるから出るわけで、県会議員じゃ果たせないから出るんです。すごく大事な30代を、ぬるま湯みたいな県議会で生活していて、私は大丈夫なんだろうかという焦りがすごくあったんです。もっともっと同世代のお友だちなんかは会社の中で鍛えられているだろうに。だから、そういう意味ではやっぱりちょっと体を壊しましたね。

常井 え、そうなんですか。

河井 適応障害になりました。

常井 ……。

河井 もっと仕事がしたい、もっと勉強したいという思いがあって。魚っていうのは泳いでないと駄目なんです。

常井 そうですね。

河井 政治家は戦ってなきゃ駄目だし。

常井 ところで、案里さんはこれまでの県議時代は広島県知事になることを狙っていたのに、どうして今回、参院選に出て国会議員になろうとしたんですか。

河井 県知事って「政治家」というよりも「経営者」みたいな感じなのでね。私は政治より経営のほうがやってみたいのかなと思っていたんだけど、2014年、2018年と地元(※広島市安佐南区)で大きな土砂災害があって、私は県会議員だけど政令市選出ということで、やっぱり国に対してやれることって本当に少ないわけなんです。広島市がやるか、あとはもう国交省なんです。

 国に対していろいろ言うことがある時は、(地元小選挙区選出の衆院議員である)主人を通さなきゃいけないんです。

 主人から国に話をして、国から広島市に下ろしてもらって、それでも広島市が動かないので、内閣官房から、官邸からやってもらった。

 すごくまどろっこしいんですよね。やっぱり自分でやりたいなという気持ちが出てきて。