3月19日。ナゴヤ球場には雲一つない青空が広がっていた。グラウンドでは遠征に帯同していない2軍の残留組と怪我をしているリハビリ組が汗を流していた。

「パプリカ、花が咲いたら~」

 口ずさんでいたのは清水達也だ。室内練習場のトレーニングルームに向かう途中だった。

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「本当なら今日が開幕でしたよね」

 清水の母校である花咲徳栄高校は第92回選抜高校野球大会に4年ぶり5回目の出場を決めていた。しかし、新型コロナウイルスの感染拡大の影響で中止に。清水は高校3年の夏の甲子園で全国制覇を成し遂げている。夢舞台の感触、アルプスの歓声、仲間と戦い抜く感動を後輩たちにも味わってほしかった。

「今、自分たちだけで入場行進をしているみたいです。ユニフォームを着て、ちゃんと『パプリカ』も流して。だから、僕も歌っちゃいました」

 その頃、埼玉県加須市の硬式野球部グラウンドでは「花咲徳栄」と書かれたプラカードを先頭にベンチ入りするはずだった18人が胸を張って歩いていた。

「くじけず、夏を目指してほしいです」

 右腕は後輩たちに思いを寄せた。

「2月下旬に宜野湾でDeNA戦に投げた時に右脇腹を痛めました。それからは別メニューでしたが、1週間前に全体練習に合流しました。4月上旬に試合で登板することが目標です」

 清水は2年目の去年、プロ初勝利を含め2勝を挙げた。飛躍が期待された今年はキャンプで躓いたが、復帰へ向けて着実に歩みを進めている。

「とにかく僕は今できることをやるだけです」

清水達也 ©時事通信社

「どこで受診しても原因不明」丸山の苦悩

 できることをする。人に思いを寄せる。今はこの2つが大切なのかもしれない。

 丸山泰資がトレーニングルームから出てきた。丸山は2016年のドラフト会議で6位指名を受けて入団。1年目に8試合に登板したものの、右肘を痛め、2018年10月にトミージョン手術を受けた。去年のオフには育成選手契約となり、背番号も69から204となった。

「先が見えないので、もどかしいです」

 リハビリは地道だ。最初はノースロー。そこから数メートルのネットスローへと移る。徐々にキャッチボールの距離を伸ばし、遠投をクリアし、やっとブルペンだ。

「去年の夏はそこまで行って、右肘を肉離れしました。手術の影響で筋肉が少し弱くなっていたんだと思います。気持ちもはやっていました」

 またゼロからのスタート。段階を踏み、秋季キャンプで再びブルペンに入ったが、またしても悲劇が待っていた。

「肉離れではありませんでしたが、激痛が走りました」