「この3日間家から出ていません。引きこもりの状態が続いています。みんな基本、ずっと家にいるだけ。本当に何もできないです。友達の家に行くことすらできない」
LINE通話でこう語るのは、フィリピンの首都マニラに住む日本人女性、ミサキさん(24歳、仮名)。新型コロナウイルスの世界的な拡大で、マニラが3月半ばに封鎖(ロックダウン)された2週間後のことだ。ミサキさんから送ってもらった街の写真を見ると、幹線道路にはジプニー(乗り合いタクシー)やバスがまったく走っておらず、道行く人々の姿が消えたゴーストタウンと化していた。
「こんなマニラの風景は二度と見られないと思います」(ミサキさん)
強権体制のドゥテルテ政権が打ち出したウイルス対策
封鎖にともない、飲食店やホテル、娯楽施設は次々と営業を停止し、公共交通機関も止まってしまった。各自治体は午後8時から午前5時までの夜間外出禁止令を出した。1970年代のマルコス独裁政権の戒厳令下でも、夜間外出禁止は午前0時から翌朝までだった。当時を上回る厳しい措置だ。
アジアで首都圏を封鎖したのは、フィリピンが初めてだろう。「麻薬撲滅戦争」にみられる強権体制のドゥテルテ政権が打ち出したウイルス封じ込め政策が徹底され、日を追うごとに規制が強まり、人々はがんじがらめの生活を送っている。
そんなマニラの現状を知って驚いたのは、私が日々、目の当たりにしている東京の日常風景とはあまりにも対照的だからだ。街に出れば大半の人々はマスクをしているものの、外出は自由で、電車やバスも通常ダイヤで運行している。
フィリピンの感染者数は3月30日午後4時時点で1546人、死者は78人で、同日正午に日本の厚労省が発表した感染者数1866人、死者54人と大差はない。
国民は黙って封じ込め作戦に従っている
フィリピンと日本は同じ島国で、人口も同規模。その両国の感染状況が似ているにもかかわらず、コロナ封じ込めに向けたフィリピンの本気度が日本に比べて段違いに伝わってきた。しかも封鎖はマニラだけにとどまらず、第2の都市があるセブ島にも波及している。日本は3月25日になってようやく、小池百合子東京都知事が週末の外出自粛要請を発表したばかりだ。
マニラ郊外で年金暮らしを続ける日本人男性(71歳)は、日本とフィリピンを比較しながらこう語った。
「ドゥテルテ大統領は徹底して封じ込め作戦をやっているし、国民もそれに黙って従っている。安倍首相のように、記者会見でさっさと帰るようなことはありません。こういう非常事態に、各国の元首がしっかりした人物かどうかが分かりますね」
フィリピンに暮らす日本人たちの声を拾い集めてみると、日本政府の危機意識の低さ、後手に回っている対応への批判が少なくなかった。