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【追悼】24年前、突如広まった“志村けん死亡説”とは何だったのか

【追悼】24年前、突如広まった“志村けん死亡説”とは何だったのか

みんな自分こそが「志村世代」だと思っている

2020/04/01
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志村を「笑いの教科書の1ページ目」と表現した芸人

《これまでも、そしてこれからも、僕はずっと好きなコントをやっていきたい。
 死ぬまで「あいつはバカでどうしようもない」って、言われ続けたい。――志村けん著『変なおじさん』(日経BP社)》

 落語家が高座に上がって扇子を自分の前に置くのは、自分たちの世界と観客の世界の間の境界線を示すためだという。志村はその線の向こう側で生涯をまっとうした芸人だった。

©getty

 志村と親交の深い千鳥の大悟は、志村の笑いを「笑いの教科書の1ページ目」と表現している。大悟はダウンタウンに憧れて芸人を志した。それは、笑いの教科書の10ページ目から始めているのと同じだった。志村と交流を深めていくうちに、1ページ目から笑いを学び直す重要性に気付いたのだという。

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 大悟と同世代の私にはこの感覚がよくわかる。「志村離れ」なんてとんでもない。志村は老舗の和菓子職人のように何十年も黙々とコントを作り続けていた。彼はずっとそこにいた。若気の至りでこちらが勝手に離れていただけだった。

日本中の誰もが「志村世代」だった

 志村を含む先人たちの活躍によって芸人の地位は向上した。だが、そのせいで、最近では芸人が必要以上に持ち上げられてしまうことがある。アスリートに練習の苦労話を聞くように、芸人にネタをどうやって作ったのかを聞くような企画がたびたび行われる。多くの人がそのような「いい話」を求めるようになり、「芸人が汗水垂らして必死になってネタを考えている」というのが美談として語られる。

 志村はそんな昨今の風潮に戸惑い、違和感を覚えているように見えた。いつまでもバカだと言って気楽に笑ってもらいたい彼にとって、裏の努力を知られ、それを称賛されるのは居心地が悪いものだったのだろう。

©getty

 SNSでは「私は志村さんを見て育ってきた世代だから本当に悲しい」などと書いている人が多いのだが、その年齢層があまりにも幅が広くて笑ってしまう。みんな自分こそが「志村世代」だと思っているのだ。

 半世紀にわたって第一線で活躍し続けてきた志村は、多くの人にとって最も身近で最も愛すべき芸人だった。志村はずっと私たちの側にいた。これからも、ずっと。

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