「志村けんが死んだ」

 今から24年前の1996年、そんな噂が日本中を駆け巡ったことがあった。「栃木県の県立がんセンターでがんで亡くなった」「四十九日が過ぎるまで遺族の意向でそのことが伏せられている」といったもっともらしい話がまことしやかにささやかれ、テレビ局や新聞社に問い合わせが殺到した。

 最終的には事態を収束させるために本人自らワイドショーに出演。レポーターから「志村さん、死んでるんですか?」と問いかけられ、「生きてるよ」と笑って返していたのをうっすらと覚えている。

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志村けんさん

本音をさらけ出すことはない“コント職人”

 あのとき広まった死亡説は、今となっては根も葉もないバカバカしい噂話に過ぎない。だが、この噂話がそこまで大きく広まったという事実は、志村という芸人がほかの芸人とは一線を画す特別な存在だったことを象徴している。

 そもそも、1996年当時の志村は自分の冠番組以外にはほとんど出ていなかった。彼が継続的に出演していたのは『志村けんのだいじょうぶだぁ』からタイトルを何度も変えてリニューアルされているレギュラー番組と『志村けんのバカ殿様』『ドリフ大爆笑』といった特番のみ。『天才!志村どうぶつ園』のようなお笑い以外のバラエティ番組に出たり、ほかのタレントが仕切る番組にゲストとして登場するようになったのはここ最近の話だ。

「バカ殿」の姿で“アイーン”ポーズをする志村さん ©時事通信社

 ビートたけし、明石家さんまといったほかの芸人が、さまざまな種類の番組に出て、素の自分として本音をさらけ出していたのと違い、志村はひたすら役柄になりきってコントを演じていた。

どの芸能人にも感じたことがない喪失感

 ある時期までの志村は、我々視聴者の前では常に「変なおじさん」であり「バカ殿」だった。何らかのキャラクターを演じていたからこそ、そこに志村という人間が生きているという実感がなかった。

 長い間、日本人にとって「志村けん」とは、ミッキーマウスやピカチュウのような存在だった。素の人間としてテレビに出ている姿をほとんど見られなかったからこそ、荒唐無稽な死亡説が「ありそうな話」として広まったのである。