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激動の10年間 「90年代ホークス」のベストナインを選んでみた

文春野球コラム2020 90年代のプロ野球を語ろう

2020/04/04
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◇捕手
・内田強(90年・94試合、打率.250、2本塁打、16打点)

 正直、捕手が最も選出に難航した。城島が対象外なのはもちろん。90年代の正捕手といえば強打がウリだった吉永幸一郎が真っ先に思い浮かんだのが、2000年もホークスでプレーしており選出できず。そこで選んだのだが内田。中日と阪急を経てダイエー初年度の89年を前に門田博光との1対3の交換トレードでホークスへ。平和台時代にマスクを被った。

◇一塁手
・マイク・ラガ(91年・124試合、打率.236、32本塁打、81打点)

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 平和台時代の助っ人外国人バッターは個性派ぞろい。南海時代から在籍したバナザード、大物アップショー、さらに阪急の怪物打者ブーマーがやってきた時は驚いた。そして、このラガもなかなかの長打力を発揮。来日1年目に32発を放っている。ただ、御覧のとおりの打率で確実性は低く、2年目は12試合3本塁打で退団。ただ、このラガに関しては、豪快なホームランよりも三振して悔しがる時の、ヘルメットを叩きつけて破壊する行為に何度も度肝を抜かれた。あの当時は「やっぱ元メジャーのパワーはすげー」なんて妙に驚いたものだが、コンプライアンスの厳しい現在ならば完全にアウトだろう。

◇二塁手
・藤本博史(94年・121試合、打率.243、11本塁打、52打点)
 
 なんでセカンドなの?と首を傾げたのでは。主に三塁手として活躍し、7年連続2桁本塁打を放ったヒゲの好打者だったが、94年はチーム事情からポジションを奪われてベンチウォーマーの危機に。それでも打撃を生かしたいと二塁手での起用になった。がっしり型の体型で「嘘でしょ」と驚いたファンも多かったが、なかなかどうして守備は結構上手かった。この年、2番にカズ山本が座り、中軸にトラックスラー、秋山、ライマーが並び、その後ろを藤本が打つという強力打線はかなりの迫力だった。現在はホークス三軍監督。

◇三塁手
・松永浩美(94年・116試合、打率.314、8本塁打、55打点、8盗塁)

 球史に残るスイッチヒッターは、オリックスから移籍した阪神を在籍わずか1年でFA宣言。ホークスにやってきた。藤本がセカンドに移ったのは松永の加入があったからだった。移籍1年目は期待通りの活躍を見せるも、以降は徐々に出番を減らしてチームを去った。ちなみに昨年2月、自身のブログで58歳にして第4子となる女児が誕生したことを報告した。

◇遊撃手
・小川史(90年・106試合、打率.251、3本塁打、27打点)

 遊撃手はやや難航。92年に入団した浜名千広が99年まで8年連続で100試合以上出場したためだ。浜名は2001年までホークスでプレーしたので対象外。福岡移転初期に絞ったところ、小川を選んだ。目立つ存在ではなかったが、通算1006試合に出場。背番号1が主力の証だった。ただ、秋山をトレードで獲得した際に「31」に。その後指導者となり、ホークス育成組織の象徴である三軍の初代監督を務め、現在は編成部のプロスカウト。

◇左翼
・岸川勝也(90年・121試合、打率.258、20本塁打、74打点)

 ホークス福岡移転初期の長距離砲。89年には26本塁打を放つなど、平和台ファンを熱くした。91年には79試合で20本塁打とタイトル獲りの夢もかかっていたが、守備で左膝を負傷。以降、成績を落としていくことになり、本当に悔やまれる故障となった。

◇中堅
・大野久(91年・130試合、打率.289、1本塁打、25打点、42盗塁)

 阪神でレギュラーとして活躍していたが、90年オフに4対5(阪神から大野のほか池田親興、渡真利克則、岩切英司が移籍。ダイエーからは藤本修二、吉田博之、西川佳明、近田豊年、右田雅彦が移籍)の大型トレードでやってきた。移籍1年目、実力をそのまま発揮し、フル出場とともに盗塁王に輝いた。

◇右翼
・佐々木誠(92年・126試合、打率.322、21本塁打、54打点、40盗塁)
 
 90年代初期のホークスのスーパースターといえば佐々木だった。92年は首位打者と盗塁王に。西武時代の秋山と共に「メジャーに最も近い野手」と評された。だが、93年オフ、その秋山が絡む「世紀の大トレード」で西武へ。その当時を述懐してもらったことがある。「その1週間前くらいにトレードには出さないと言われていた。だけど、いろんな話があったみたいで。僕自身も戸惑いました。確か発表前の夜中1時くらいに上田球団代表か球団の広報から電話があって『どこかに隠れてくれ』と。発表後丸一日は見つからなかったと思うよ」。引退後は社会人チームの監督、ホークス三軍のコーチや監督を歴任し、現在は鹿児島城西高校の監督を務める。本来ならば、今春のセンバツで甲子園に出場するはずだった。

◇指名打者
・山本和範/カズ山本(94年・115試合、打率.317、11本塁打、62打点)

 不屈の男、ガッツの男は福岡出身ということもあり、無類の人気を誇った。主に中軸として活躍したが、94年には「恐怖の2番打者」として活躍。自己ベストの打率を残して、イチローと首位打者争いを演じた。最終的には2位だった。年俸は2億円に到達。しかし、翌年に故障をしてしまいオフに戦力外となった。それでも古巣だった近鉄へテスト入団。96年のオールスターでは福岡ドームで感激の代打本塁打を放った。その時のことを、ご本人から伺ったことがある。「小久保君の代打だったんです。地元ホークスの選手だし、パ・リーグを代表する4番バッターですよ。本来代打を起用することはない。だけど、仰木監督(その年のパ・リーグ監督)からの無言のメッセージだよね。福岡の英雄はオマエなんだという。自分としてもホークスを平和台時代から支えたという自負はあった。自分はもうダイエーの選手じゃなくて敵になったけど、福岡の人が温かく応援してくれた。何とか期待に応えたい。それだけだったね」。

カズ山本 ©文藝春秋

 ちなみに打順を組んでみた。

(三)松永 (指)カズ山本 (右)佐々木 (左)岸川 (一)ラガ (二)藤本 (遊)小川 (捕)内田 (中)大野
 
 90年代のプロ野球。当時はまだ陽の目を見ないパ・リーグではあったが、全国に誇れる鷹ナインは大勢いた。たくさん負けたけど、ただでは終わらなかった。現代のホークスとは違う面白さを我々は感じながら毎日を楽しんでいた。

 なかなか魅力あるチームが出来上がったのでは? ぜひeスポーツの世界あたりでペナント奪取を目指して戦わせてみてほしい。

ダイエー初期時代のマスコット。彼は「ハリーホーク」ではなく「ホーマーホーク」 ©文藝春秋

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