第一次世界大戦中に小説家として本格デビューし、第二次大戦中に自殺した作家ヴァージニア・ウルフの作品は、登場人物たちの「意識の流れ」がぶつかり、変容していく様を繊細に叙述する実験的手法ゆえ「難解」と言われてきた。しかし今世紀に入ってもなお、新たな読者を獲得し続けている。
川上未映子さん、町屋良平さんなど影響を受けたことを公言する現代日本作家も少なくない。英文学者の片山亜紀さんは、評論『自分ひとりの部屋』『三ギニー』に続き、今年2月に遺作『幕間』の翻訳を出した。
「自殺に惹かれている人が遺言のようなつもりで書いた小説だと考えていたのですが、訳し終えた今、彼女は最後まで作家として新しい境地を切り拓こうとしていたことが分かりました。しかも、その志は成功した。まぎれもない傑作です」
大戦前夜、1939年6月の、ある一昼夜の物語だ。イギリス内陸部の村の屋敷「ポインツ・ホール」では、毎年恒例の、敷地内で催される野外劇の準備で主人たちも使用人も気ぜわしい。かつてインド植民地局に勤務していた老バーソロミューは、妹で夢見がちの老婦人ルーシー・スウィズンに度々苛立つが、息子の嫁アイサは上品な叔母の味方だ。アイサの夫ジャイルズがロンドンの金融街から戻り、ジャイルズに会うなり惹かれる同性愛者の公務員や女盛りの富豪夫人など、様々な人物が訪れる。お茶係は休憩のタイミングについて女性劇作家ラトローブに注文をつけ、村人らは意気揚々と劇の中で王侯貴族に扮する。諸階層の老若男女を一堂に集め社会の縮図を見せ、四幕劇で英国史を追体験させる構成に息を呑む。
「ウルフはこの小説を、ドイツによるロンドン空爆に耐えながら書き続けました。戦中に、少し前まであった平穏、二度と戻ってこないかもしれない世界を作家が描いた、ということの意味を考えると切ない。彼女は一貫した反戦家で、『幕間』の前に書いた『三ギニー』では、戦争を止めるにはどうしたらいいかを根本から論じています。それなのに現実に戦争に突入した時期に、なぜ小説を書いたのだろう、反戦を訴えるにはあまりに迂遠な方法ではないか、と長年不思議でした。でも訳してみて分かったのは、戦争へと向かう社会の微妙な空気を捉えるのに小説を使ったということ。本作では先行する文学作品の断片や、歌い継がれてきた民謡などの文化遺産が、人々の雑多な生活と混ざり合う。その中で戦争遂行に向けて人々は諦めたり覚悟を決めたりする。ウルフの分身ラトローブは、そんな人々に精一杯の揺さぶりをかけようとします」
学部時代に『ジェイコブの部屋』で衝撃を受け、卒論、修論、そして本場イギリスで博士論文を、全てウルフをテーマに書き続けてきた片山さんだが、その難解さに研究者として途方に暮れた時期もあったという。
「だから『自分ひとりの部屋』の翻訳の話をいただいた時は、え、いいの、私は好きだけど、売れるのかしら、と正直に言えば思いました(笑)。だから反響の大きさに驚きましたし、励まされましたね。確かにこの本の、より良く生きるために“500ポンドの年収と自分ひとりの部屋”を持ちましょう、と彼女が女性たちに呼びかけた有名な言葉は、90年経つ今も継承に値します。また小澤みゆきさんが編集して昨年評判になった文芸同人誌『かわいいウルフ』は新鮮でした。肩肘はって研究してきたけれど、もっと自由に、自分だけの切り口でウルフを読んでいいんだ、と教わったんです」
Virginia Woolf/1882年、ロンドン生まれ。『ダロウェイ夫人』『灯台へ』『波』など。41年、入水自殺。
かたやまあき/獨協大学外国語学部教授。イースト・アングリア大学大学院修了、博士(英文学)。共著『フェミニズムの名著50』など。