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ロッテの名物ウグイス嬢が思い出す、1994年榎康弘の初勝利と試合後の“ある出来事”

文春野球コラム2020 90年代のプロ野球を語ろう

2020/04/10
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 ZOZOマリンスタジアムで場内アナウンス担当をして30年目を迎える谷保恵美氏は球場バックネット裏にある放送室で一軍1825試合を見てきた。印象的な試合は多い。真っ先に挙げるのは01年7月9日のホークス戦(当時マリン)。3点ビハインドの延長10回に無死満塁からフランク・ボーリック内野手が逆転サヨナラ満塁本塁打を放った日だ。

 もう一つ忘れられないのは05年9月22日に行われたミスターマリーンズ・初芝清氏(現野球評論家)の引退試合。共に時代を歩んだ同じ年の選手の引退試合であったのと同時に40度近い高熱を押して場内アナウンスを担当したことでも思い出深い。そしてさらに、もう1試合。印象に残っている試合を語ってくれた。それが94年5月22日のライオンズ戦(当時マリン)である。

印象に残っている榎投手のバースデープロ初勝利

「先発の榎投手が誕生日にプロ初勝利を挙げたということですごく印象に残っています。私が入社した時のドラフトで入ってきた選手で、球団事務所にスカウトさんが挨拶に連れてきたのを覚えていました。ブレザー姿が初々しかったです。そしてマリンで最初にアナウンスした試合は91年のジュニアオールスター。その時のオールイースタンの先発が榎投手。色々と縁があって初勝利は鮮明に覚えています」

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 当時の観衆は2万8000人。ライオンズ打線にプロ4年目の若武者は真っ向勝負を挑み5回3分の2を投げて3失点。スライダーも切れ味抜群で、プロ初勝利を挙げた。その道のりは決して平たんではなかった。東海大甲府ではエースとしてチームを引っ張り、90年のセンバツでベスト4。将来有望なエース候補として入団をして1年目こそ一軍で4試合に登板し千葉ロッテマリーンズの初代ユニフォーム発表記者会見ではアイドル顔負けのルックスからモデルを務めるほど期待された。

榎康弘 ©文藝春秋

 しかし2年目の春季キャンプで右肩腱板損傷の重傷を負いシーズンを棒に振る。そこから長いリハビリ生活が待っていた。翌年の8月にようやく実戦復帰。二軍で結果を出しチャンスが来た。そんな苦難を知っているからこそ、22歳のバースデープロ初勝利を挙げた右腕の活躍が今でも色あせることなく記憶に残っている。ちなみに榎氏はこの年は7勝。そのうち4勝をラオインズから挙げ、ファンからはライオンズキラーと呼ばれるようになる。また投げる際に大きく左足を上げるフォームも特徴的だった。

「誕生日ということ以外に、この試合でもう一つ印象的な出来事がありました」と谷保氏。試合後のヒーローインタビュー後に行われたメディア向けのフォトセッション。快投を見せた榎氏は当時、マリーンズ・ガールと呼ばれるマスコットガール2人から両頬に祝福のキスを受けたのだ。ヒーローの選手が球団マスコットガールからキスされるという現代プロ野球ではなかなか想像が出来ない絵作り。これまた強烈な印象を残した。

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