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野球選手における“ニキビ”の変遷 1990年、カープ佐々岡真司の「金粉クリーム」がもたらした影響

文春野球コラム2020 90年代のプロ野球を語ろう

2020/04/06

 多くの若者を悩ませるニキビ。私自身は中学、高校時代に1つもできなかったため、ニキビなんてクレアラシルを塗れば、サルファ・レゾルシン処方がたちどころに働いて効果的に治るものだと考えていた(その後、大学に入ってからこめかみに頻出するようになり、薬を塗ったからとて即座には治らないことを知ることとなる)。ニキビはできて欲しくないし、できてしまったら何とか治したい。これは男女問わず、全人類に共通する願いなのではないだろうか。

治療法に変化? 野球界のニキビ問題

 野球選手とて同じだろう。特に10代後半~20代前半の選手は、年齢的にニキビができやすい年頃でもある。2018年、巨人にドラフト5位で指名された松井義弥は、「ニキビがあること自体が悩みです」と語り、原監督から「やや“青春のシンボル”が多い。そこは松井(秀喜)に聞けばいいよ。後々、きれいになったんだから」というアドバイスをもらっていた(※注1)。その松井秀喜はじめ、入団当初ニキビの多かった選手達は、プロになると次第にニキビが改善していっているように見える。我々は「プロ選手だから、お金をかけて高い薬を塗ったりエステに通ったりしているのかな」などと安易に考えてしまうが、果たして彼らはどのようなニキビ治療を行ってきたのか。そして時代ごとにその治療法に変化は見られたのだろうか。

新人時代の松井秀喜 ©文藝春秋

 今でこそ皮膚科で薬を処方してもらうとか、食生活を改善したりストレスをためない生活をしたりする、といったニキビ治療法が浸透したが、1970年代までの一般的なニキビ治療は、もっぱら「つぶす」であった。時代劇「水戸黄門」の飛猿役で知られる俳優・野村将希(当時・真樹)も、20歳頃にひどいニキビに苦しめられ、女優・九重佑三子の推薦する「ニキビつぶし美顔法」を試したという(※注2)(結局野村のニキビは改善せず、最終的に外科手術をしたということである)。

 野球界ではどうだったか。74年ドラフト1位で巨人に入団した定岡正二は、入団当初ニキビが多く「毎朝、ごしごしと手のひらでこするんです。セッケンは使いません。水でぬらした素手でやるのが、一番よくつぶれるんです」と語っていた(※注3)。なんとも荒療治である。

 ところが80年代になると、「ニキビをつぶすのは跡が残ってよくない」という説がさかんに唱えられるようになり、若者向けの雑誌にも多く特集が組まれるようになる。たとえば『メンズノンノ』87年4月号では、「不十分な洗顔、ストレス、偏食」をニキビの最大の敵としている。「ニキビをつぶせば跡が残りやすいのは耳にタコができるほど聞いている」と「つぶす」治療を否定し、代わりにメンズ洗顔料や化粧水、携帯用スポッツローション等を紹介する。80年代の終わりには「ストレスがニキビの原因になること」「治すには薬を塗ること」という情報が若者に浸透していったと考えられる。

 そして90年代。野球界の「90年代」「ニキビ」というと、どうしても前述の巨人・松井秀喜を抜きにしては語れない。92年、ドラフト1位で巨人に入団した時は、実は松井の肌にはさほどニキビはできていなかった。ところが入団1年目の93年、各球団からマークされ6月に二軍落ちしたあたりからニキビが多くでき始めた。8月に再昇格して2打席連続ホームランを放った後に、松井本人が「158コあったニキビが、これで2コ減りました」と記者に語ったという(※注4)。松井の父・昌雄さんもインタビューで「悩みを抱え込んでストレスがたまるとニキビができる。入団した頃から春先は引いていたんですが、不調の時は出ていましたね。悩んでいたんですね。ニキビは心のバロメーター」(※注5)と語ったように、松井のニキビの原因は自他ともに「ストレス」であると認識され、「打撃が好調である=ストレスがない」ことが何よりのニキビ治療薬とみなされたのである。