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野球選手における“ニキビ”の変遷 1990年、カープ佐々岡真司の「金粉クリーム」がもたらした影響

文春野球コラム2020 90年代のプロ野球を語ろう

2020/04/06

「金粉クリームは最高です」と語った佐々岡真司

 その後、94年頃から松井のニキビは劇的に改善していく。そこまで綺麗になるのはストレス軽減だけが理由ではないと考えられ、「高級美容サロンに通っている」「〇〇という化粧品を使っている」といった情報が週刊誌を賑わせていくが、どの情報も確かではない。松井本人もニキビについて問われ「ハァ……何もしてないッスよ。(ニキビが減ったのは)年齢相応ってトコじゃないですかネ……」(※注6)と、積極的な治療を否定していた。

 ところが松井に先立つこと3年前。我々の「プロ選手はお金をかけてニキビを綺麗にしているのかな」という見方の基礎を作ったともいえる選手がプロに入団していた。現カープ監督・佐々岡真司である。

 89年ドラフト1位でカープに入団した佐々岡は、即戦力と期待されていた。ところが「そんな佐々岡にも一つだけ悩みがある。ニキビとニキビ跡による月面のような顔面だ。『ファンレターが1通も来ないんですよ』と嘆く佐々岡は現在、連日、金粉パックと金粉入りのクリーム治療に取り組んでいる次第」(※注7)と雑誌に書かれてしまう。これだけなら憶測の域を出ないが、90年シーズンが始まって先発に抑えにと大活躍する佐々岡本人が「いまは好きな野球ができて、それでおカネがもらえる。こんないいことはありませんよ。おかげで、金粉入りのニキビ取りクリームまで買ってしまった」(※注8)と語っているのである。他にも雑誌のインタビューに対し「ボクの好きな女の子のタイプ/身長はこだわりません。/顔は細身の子、安田成美みたいな人」と本人直筆で回答を寄せる中、唐突に「ニキビに困ってる方、金粉クリームは最高です」という一文を紛れ込ませている(※注9)。まさに金粉クリームさまさま、といったところだ。

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 正直、この金粉クリームにどれほどの薬効があるのかは定かではない。しかし、「金粉」という何となく高級そうな響きは、母一人子一人で苦労をしてプロ入りした佐々岡のイメージとあいまって、「プロ野球選手になれば高級クリームを買うことができ、ニキビもたちどころに治る」という希望を90年代のニキビに悩む野球少年に植え付けていったのである。

 90年代という時代。それはプロ野球選手がニキビをつぶさずに薬を塗って治す時代の始まりでもあり、その先駆者となったのが佐々岡だったと言えるだろう。

佐々岡真司の30年 ©オギリマサホ

※注1:「スポーツ報知」18年10月30日
※注2:『週刊明星』73年1月28日号
※注3:『ヤングレディ』75年2月10日号
※注4:『FLASH』93年9月21日号
※注5:『VIEWS』93年10月27日号
※注6:『週刊朝日』96年9月6日号
※注7:『週刊ベースボール』90年2月12日号
※注8:『週刊大衆』90年7月9日号
※注9:『週刊ベースボール』90年7月30日号

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