「反グローバル」をコロナが後押し
コロナ禍が比較的短期間で収まっても、毀損したグローバルサプライチェーンとジャストインタイムのシステムはすぐには元に戻らないだろう。そもそもコロナ禍がすぐには終わらず、何年も続く可能性だってある。「ウィズコロナ」の時期が長引けば、各産業はかつてのように自国生産へと回帰していかざるを得なくなる。
国民の健康や安全が危機にさらされるのであれば、各国は他国との関係が傷つこうとも、重要なサプライについては国内にとどめようとする力が強くなるだろう。トランプ大統領が主張していた産業の国内回帰は「反グローバルだ」と批判されていたが、図らずもその方向がコロナによって後押しされてしまうことになるのだ。
グローバル経済だけでなく、ミクロな私たちの消費生活でも、外出自粛やソーシャル・ディスタンシングによってミニマリスト的生活は困難になっている。外食は難しくなり、買い物の回数も減らさざるを得ず、まとめ買いしておいた食料を自宅で楽しむように変わりつつある。買い占めは論外だが、ある程度は備蓄が必要だという認識も広まってきた。ミニマリストよりもプレッパーな生活のほうが「ウィズコロナ」時代には適合していると言わざるを得ない。
ウィズコロナが続けば続くほど、資金調達は難しくなり内部留保の少ない企業は苦境に陥る。貯蓄の少ない家庭も明日の生計のめどが立たなくなってくる。アメリカでは多額の現金が銀行などから引き出されているとウォール・ストリート・ジャーナルなどが報じており、「タンス預金がいちばん安全」と思う人が増えてくるかもしれない。
世界はフロー社会から遠ざかり、ストック社会へ
つまりはフロー(流れ)よりも、ストック(備蓄)の時代に回帰するのだ。ジャストインタイムによってあらゆるものが世界中を流れ続ける世界ではなく、いろんなものを溜め込んでチビチビと使い、外部との物理的接触は避けるようになるのである。
昔も今も農家には、いろんな道具や材料が山のように置いてある。農業という仕事はミニマリストとは対極にあり、さまざまな作業のためにさまざまな道具や素材を必要とするからだ。言ってみればフローに頼らず、すべてをあらかじめ準備するストック型の姿勢だと言えるだろう。この方向をさらに突き進めると、懐かしいアメリカのドラマ『大草原の小さな家』のような自給自足になる。完全なるプレッパー的生活だ。
私は登山をよくするが、山小屋は好きではないので泊まらない。そのかわりにテントと食料、燃料などすべて担いでいく。重量が増えて肩と腰にがっつりと負担が来るが、背負っているザックのなかに生活のすべてが詰まっていると思うと、「何が起きても大丈夫。いまこの瞬間に文明が崩壊しても、数日間はこれだけで生き延びられる」というような変な安心感を感じる時がある。これもプレッパー的なストックの感覚なのだろう。
どこまで続くのかはわからないし、将来の見通しはわからない。しかし少なくとも当分の間は世界はフロー社会から遠ざかり、昔のようなストック社会へと回帰していくのではないかと思う。ひょっとしたらそれはアフターコロナにも続くのかもしれない。いままさに、世界の見え方は変わりつつあるのだ。