緊急事態宣言が発令後も新型コロナウィルス感染症をめぐって続く政府のちぐはぐな対応をどう理解したらよいのか。この点について「危機認識の甘さから初動が完全に遅れた」と喝破するのが、2009年に厚労相として新型インフルエンザの対応にあたった舛添要一氏だ。緊急事態宣言の対象地域である東京都の前のトップでもあり、その発言に今、改めて注目が集まっているキーパーソンだ。
迷走する安倍政権の対コロナ政策
「安倍政権は出遅れた」という舛添氏は自らの体験とこう比較する。
「メキシコで突如60人以上の死者が出た3日後の2009年4月27日、WHO(世界保健機関)は警戒水準を〈フェーズ4〉に引き上げました。すると翌28日に日本政府として対策本部を立ち上げ、5月1日には専門家諮問委員会を置いた。これに対して今回は、1月16日に国内最初の感染が判明しているのに、政府が専門家会議の設置を打ち出したのは約1か月後の2月14日。基本方針を策定したのはそれからさらに11日後の25日で、丸々1か月遅れてしまいました」
批判を受けて一転、安倍首相は自ら肝煎り政策を打ち出すようになる。2月には全国一律の休校を要請し、3月は緊急事態宣言の法的根拠となった改正新型インフルエンザ特措法を成立させた。さらに4月には全国全ての世帯に対し布マスク2枚の配布を始めた。
ところが一斉休校はそれまでの緩慢な対応とは一転して強い判断だったために「唐突だ」と受け取られ、布マスク配布に466億円もかけたことには「ほかにお金の使い方がないのか」という批判も相次いだ。
官邸官僚の劣化
どうして安倍政権は情勢の変化に即応できていないのか。その理由について舛添氏は、11年前の対応も含め過去の知恵や経験が全く生かされていない、と分析する。
「経験が生かされていないのは、行政の質が落ちているからです。専門的な知見を蓄えてきた優秀な官僚が、安倍政権になって次々と枢要なポストから外された。そのため、優れた人材がいなくなり、必然的に行政機能も劣化してしまった」
舛添氏が厚労相時代、C型肝炎訴訟や年金記録問題などで深刻な問題に対処するために抜擢し、その後を引き継いだ民主党政権時代にも活躍した有能な官僚は、12年に安倍晋三氏率いる自民党が政権に返り咲くと、「民主党政権に手を貸した」と逆にネガティブに評価され、出世のラインから外されてしまった、と舛添氏は読み解く。
「菅義偉官房長官や今井尚哉首相補佐官ら官邸官僚が人事権を完全に掌握したことで、霞が関の上層部には志を持つ者は減り、官邸ばかりを見てゴマをする役人が増えました。いざ危機に直面しても、大胆な決断と諫言ができる有為な人材はいなくなってしまった」