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1998年、ロッテ屈辱の「18連敗」 当時をよく知る捕手の回想

文春野球コラム2020 90年代のプロ野球を語ろう

2020/04/16

 千葉ロッテマリーンズの90年代を語る時に避けては通れないのが98年の18連敗となる。6月13日のオリックス戦(当時千葉マリン)から始まり、7月8日のオリックス戦(当時GS神戸)まで続いた。ちなにこの期間、雨天中止が1度(6月14日の千葉マリンでのオリックス戦)。引き分けが1度ある(6月30日の福井での西武戦)。当時をよく知る男がマリーンズにはいる。清水将海一軍バッテリーコーチだ。

「オリックス戦で始まり、オリックス戦で終わった。捕手としてもいつも打たれるのではないかとビクビクしながら投手をリードしていた。恐怖感があった。負のオーラがあって、勝てる気がしなかった。勝っていても8回、9回で逆転されるのではないかと感じてしまっていた」

現役引退の清水将海一軍バッテリーコーチ ©梶原紀章

清水コーチが振り返る98年の18連敗

 清水は右肩を故障し、この年の一軍初出場はチームが4連敗で迎えた6月19日の日本ハム戦(東京D)だった。この試合で忘れられないのはスタメン出場の2打席目で顔面に死球を食らい、途中交代をしたことだ。顔は大きく腫れていたが抹消されることなく一軍ベンチ入りを続けた。チームの窮地に弱音は吐かなかった。今でも印象深いのはファンの応援だった。連敗が続く中で必死の応援は続いた。

「ファンの応援が凄かった。正直、暴動を起こされてもおかしくないような試合展開の日々。それでも、いつも『頑張れよ』、『今日は期待しているよ』と励まし歌い続けてくれた。ファンとの一体感を強く感じた」

 あの頃のチームメートと再会をすると気付けば当時の話をしてしまう。それぐらい記憶に深く刻まれている。ただ、それは「恥ずかしい事。負け続けるのは悔しいし屈辱的だった」と語気を強める。そして「一人一人の意識が低かったと思う」と反省する。

 ファンの間で語り継がれるのが七夕の悲劇。16連敗で迎えた7月7日オリックス戦(GS神戸)だ。2点リードの9回二死一塁でこの日、そこまで無安打のハービー・プリアム外野手に同点2ランを打たれ追いつかれる。その瞬間を清水はベンチで見ていた。追い込んで投じた先発黒木知宏投手の139球目。あと1球だった。連敗を止めて欲しいと誰もが願う中で、ボールはレフトスタンドに吸い込まれていった。打球は無情にもマリーンズファンで埋まるスタンドへと消えていった。そして清水は延長からマスクを被ることになるが、12回にサヨナラ負けを喫する。サヨナラ満塁本塁打。9回二死のあと1ストライクから同点に追いつかれたゲームはあまりにも悲惨な形で幕を閉じる。そしてチームは2日後に連敗を止める。

98年に最多勝と最高勝率のタイトルを獲得した黒木知宏 ©文藝春秋

「勝つためにもっともっと努力しなくてはいけなかった。つねに意識を高くもってワンプレーを大事にしていかなくてはいけない。あれからずっとそれは思っている。ああいう経験は二度としたくはない。してはいけない。今はコーチとして若い選手に自戒の念を込めて指導をしている。若い子たちにあんな想いは絶対にさせたくないからね」