僕が大学1回生だった1996年のプロ野球。セ・リーグでは、長嶋巨人が首位に最大11.5ゲーム差をつけられるも、7月9日札幌市円山球場対広島戦からの快進撃で、大逆転優勝をおさめた。あのメークドラマの年である。

 正直あの頃の僕はプロ野球に贔屓チームも無く、巨人がどんな試合をしていたかなんて覚えていない。しかし、そんな僕にとってもあの頃のオリックスブルーウェーブは特別だった。1年前の阪神淡路大震災で実家が全壊、親戚の家を転々としながら過ごした高校の最終学年、『がんばろうKOBE』の文字を右袖に刻み闘うブルーウェーブは、こうありたいという僕の目標だった。

 さかのぼること前年。ブルーウェーブは、リーグ優勝を果たすも日本シリーズでは野村監督率いるヤクルトにやられてしまう。しかし、仰木監督以下チームには、日本一になり被災地を笑顔にしたい、という強い意志があった。ブルーウェーブは、翌年も2年連続となるリーグ優勝をおさめ、巨人との日本シリーズを迎えることとなる。

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 日本シリーズは、第1戦をイチローのホームランで接戦を制したブルーウェーブが勢いに乗る。安定感抜群の中継ぎ陣の活躍もあり、3勝1敗で迎えた第5戦。神戸で日本一になるためには、この日に決めなければならなかった。

©文藝春秋

神戸ハーバーランドにかけつけた目的、それは「仰木監督人形の胴上げ」だった

 関西各局の情報番組は、こうすれば巨人に勝てる! イチローの調子はどうだ? 日本一の確率は?などブルーウェーブの話題でもちきりだった。そんな中「仰木監督人形を胴上げしよう」なるニュースが飛び込んでくる。どうやら球場に入りきれなかったファン達が集まり神戸ハーバーランドの大型テレビで試合を観戦し、仰木監督の人形を胴上げしようといった内容だった。

「胴上げしたい……」

 気づけば野球仲間と神戸にむかっていた。ナイターにも関わらず、お昼すぎには沢山のファンがつめかけていた。海沿いに作られたステージには椅子が置いてあり、仰木監督人形が脚を組んで座っていた。上下ユニフォームを身にまとい、帽子にサングラス、腕にはリストバンドを装着。少し離れてみると本人が腰掛けてるようにみえるほど精巧に作られていた。試合までの時間、何をしていたかはよく覚えていないが、そこに集まった人々のソワソワ感はよく覚えている。

 プレイボールとともに、大歓声が神戸の山と海を結ぶ。ジャイアンツに先制されるも、すぐに反撃、ニール、小川博文のタイムリーなどで一挙5点をもぎ取る。試合中盤、センター本西厚博へのライナーがワンバウンドと判定され巨人が1点を返す。仰木監督は怒りの抗議で選手を引き上げさせた。ハーバーランドの大型テレビに映しだされたそのプレイ映像は、完全に本西がノーバウンドでキャッチしている事がわかった。「取っとるやないかぁ!」とオッサンが叫ぶ。判定はくつがえらず嫌なムード。しかし、その後を先発・星野から伊藤―野村と継投、最後はシリーズ4度目の登板となった鈴木平がしっかり抑え、オリックスが悲願の日本一に輝いた。