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 志村自身、メディアの取材によくこう答えていた。

「僕は芸能界は好きだけど、芸能人ってあまり好きじゃないんですよ」

 恥ずかしがり屋の志村にとって、いったん内側に入れてもらえれば外から不用意に闖入者の入ってこないこの街が心地よかったのではないか。

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麻布十番の寿司屋で開かれた「古稀を祝う会」

 今年2月25日夜、親族との古稀を祝う会が開かれたのも、やはり麻布十番の寿司屋だった。この席で志村は、初の主演映画「キネマの神様」の顔合わせが済んだばかりだったこと、NHKの朝の連続テレビ小説「エール」に出演することなどを楽しそうに話していたという。

兄・知之さん(左)と親友・角田さんと

 だが、新たな挑戦に臨んでいた矢先の3月17日、志村の体調は急変。長年、志村を診てきた主治医のもとにマネージャーから連絡が入った。この時点で「サチュレーション(血中の酸素飽和度)は異常に下がっていた」(主治医)という。3月23日に新型コロナウイルス陽性との診断が下され、その6日後、志村は帰らぬ人となった。

出典:「文藝春秋」5月号

「文藝春秋」5月号ならびに「文藝春秋 電子版」では、ノンフィクション作家・広野真嗣氏&本誌取材班によるルポ「志村けん 最後のコメディアン」を掲載。志村が麻布十番を愛した理由のほか、家族や友人が明かす知られざる素顔や、コメディアンを志した経緯、ビートたけしやタモリらと異なる「笑いの哲学」、主治医が語るコロナ肺炎の怖さなど、志村が駆け抜けた70年の生涯を様々な角度から描いている。

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文藝春秋

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志村けん「最後のコメディアン」