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盆踊りの哲学――政治学者・栗原康インタビュー#1

盆踊りの「トランス状態」は、一遍上人の「踊り念仏」に似ている

年貢のため、出世のための身体から逃亡しよう

―― 一遍は、常にインディーズだったんですね。

栗原 その点も、時代の閉塞感に苦しむ農民や武士に響いたんだと思います。農民にとっては、鋤や鍬を持って畑を耕すための体の動き方を覚えて、いかにたくさん収穫物を得るかが最重要課題。年貢のための身体です。やってもやっても、武士や貴族に収奪される。武士の場合は、弓矢や剣の稽古をして、所領を守って増やすことができるのが使えるやつだった。出世のための身体。そのためには身内や友人を殺すこともある。そういうのに、嫌気がさしていたひともたくさんいました。

―― 実は鎌倉時代って、一番アナキストが多かった時代なのでは?

栗原 農民は、土地を捨ててガンガン逃亡してます(笑)。「オレは坊主になるぞ」というひともいれば、「悪党」とよばれ、海賊や山賊になって生きていくひとたちもいた。だから一遍に付き従うひとの中には「悪党」も多くて、文字通り山賊も一緒に踊るんですよ。それから、武士や農民の世界から排除され、コケにされていた「乞食」や「非人」、ハンセン病者たちも、一遍といっしょに旅をしています。

©榎本麻美/文藝春秋

本気で騒ぎ始めるとき、どう体を動かすか

―― 栗原さんの盆踊り体験は「デモよりすごいのがあるぞ」が入り口だったわけですが、盆踊りと、デモ・抵抗運動の似ているところ、違うところってどう思われますか?

栗原 違うところも明確にあると思います。とうぜん、デモは「目標」があるじゃないですか。安保法制を撤回させるとか、原発を止めましょうとか、共謀罪阻止とか。政府に圧力をくわえるために、人数をあつめたい。そのためにメディアに好印象をあたえたい。だから「秩序をもって、笑顔でクールにコールをあげましょう」となると、それができるかどうかで、デモや参加者の有用性がきまってしまう。

 でもデモのおもしろさって、そういう目的を飛び越えちゃうときなんですよね。歩道におしこめられていた若い子やおっさん、おばさんたちがワーッと騒ぎ始めて、我も我もと路上にとびだして、歓声をあげながら踊り狂っているときとか(笑)。

 目的さえも忘れてしまって、ひとが本気で騒ぎ始める。おまえは使えるとか使えないとか、会社でもプライベートでも日々、そういうのに管理されていた自分の身体が内側からぶち壊されて、ぜんぜんちがう動きがはじまっていく。もうなんにもしばられない。これは、盆踊りにすごく通じるものがあるなと思うんです。盆踊りもなぜ踊るのかわからないですからね(笑)。

―― この夏、初めて盆踊りに行く人や、盆踊りで踊ってみようかなって思っている人に向けて、栗原さんからアドバイスはありますか?

©榎本麻美/文藝春秋

栗原 いろいろと盆踊りの思想みたいなことをしゃべりましたが、何も気をつけないことが、一番大切かもしれないですね。何も考えずに楽しみに行くものですから。とにかく踊る。とはいえ毎年錦糸町の河内音頭に行ってても、最初ちょっとドキドキするんです。

―― 毎年行っていても、ドキドキするものなんですね。

栗原 だからだいたい友達と「一杯飲んでから行くか」と、生ビールをキュッキュッキューッとひっかけて(笑)。

―― 両手が空く荷物が良さそうですね。

栗原 そうですね。ショルダーバッグみたいな動きやすいバッグがおすすめです。毎年河内音頭用に使っていたバッグが、ちょうどぶっ壊れてしまって。毎年、すっごい汗をかいているから、革がもうボロボロになってしまいました(笑)。

#2に続く)

死してなお踊れ: 一遍上人伝

栗原 康(著)

河出書房新社
2017年1月27日 発売

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