文春オンライン

盆踊りの哲学――政治学者・栗原康インタビュー#1

盆踊りの「トランス状態」は、一遍上人の「踊り念仏」に似ている

note

一遍は「ちええっ」と体を動かしはじめた

©榎本麻美/文藝春秋

―― 一遍の踊りって、実際にはどんな感じだったんでしょうか。

栗原 国宝に指定されている『一遍聖絵(ひじりえ)』という絵巻をみると、とても荒々しいんですね。みんな全力で跳ねているんです。たとえば、ある日、武士の屋敷で踊り念仏をやってくれと言われて、やっていたら騒がしいので近所中のひとがあつまってきて、こりゃおもしろいぞと続々とひとがあつまり、数百人規模になっちゃって。バンバンジャンプしてたら、床板をぶち抜いてしまった(笑)。

 ひとの家で踊ってぶち壊しちゃったから、これはまずいといって、その後、自分たちで踊り屋という建物を作るようになり、そのための職人集団もできた。おもしろいのは、じゃあ激しく踊っても倒れないようにしないとねといって、建築強度を保つための「筋交(すじか)い」という技術が生まれたらしいんです。

ADVERTISEMENT

信濃国(長野県)小田切の里にて初めて踊念沸をする(『新修日本絵巻物全集11 一遍聖絵』より)

―― どうして一遍は踊り始めたんでしょうか。

栗原 もともと一遍たちは「融通念仏」、念仏をひとに融通してあげるということをやっていて、今で言うと合唱団みたいなのを作って、「南無阿弥陀仏南無南無南無……」と唱える。お寺でやるとすげえ響くんですよね。自分の口から発している声が、自分のものなのか、他人のものなのかもわからなくなってくる。そんな中にいると忘我状態になって、恍惚感をおぼえるんですね。それを街頭でも、30人くらいでやっていて。

 当時の念仏ってリズムをつけた歌なんですよね。速度を速めたり、声の高さを上げたり下げたり。これを修行として、3日3晩連続でやったりする。

―― 現代でいうと、パフォーマンスアートみたいな感じですね。

栗原 そうですね、もうちょっとストイックかな。一晩もぶっとおしでつづけていると次第に、人間が普段では出さないような声を出し始める。人間の限界をこえて、およそひとならざる声がきこえてくる。そこに仏を感じるんです。一遍が踊り念仏を始めたのは、その合唱団的なことをやってるときに、突然「ちええっ」と体を動かし始めたところから。それで武士の屋敷の庭でピョンピョン跳ねて……。

―― 周りの人たちも、一遍が踊っているから、やるしかないなあと。

©榎本麻美/文藝春秋

栗原 やり始めたら楽しくて楽しくて、周りからピョンピョンピョンピョン入ってくる。踊りが止まらなくなってきて、一遍が「これもうちょっと煽れるんじゃないか」と屋敷の中に入っていって、食器を持ってきて、カンカンカンカンと叩き始める。

―― 音を入れて、もっとエスカレートしていくんですね。

栗原 もっといけるぞ、みたいな(笑)。最初は合唱で覚えた恍惚感を、文字通り体を動かして表現していったのが踊り念仏の始まりだと思います。

 念仏は、お寺で行儀正しくやるものだったのに、いきなり外に出て、狂ったように叫んでルールをぶち壊していった。そこからさらに、お坊さんとしての体の動きも超えてしまうみたいなところがあったのでしょうね。一遍は武家出身ですが、出家して上人になったんです。そもそも、どこのお寺に所属するわけでもなかった。私度僧です。