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 1894年に山陽鉄道(山陽本線)が広島まで延伸すると駅名を糸崎に改め、国有化を経つつも件の通り機関区、鉄道の町として大いに栄えた。ところが、1961年になると山陽本線が三原駅まで電化。さらに翌1962年に広島まで電化される。それでもまだ、三原から分岐する呉線が非電化だったから糸崎のSLの基地としての機能は維持されたが、1970年に呉線も電化されると完全に車両基地としての役割を終える。そして現在ではただ車両が留置されるだけの場所となり、乗務員も乗り継ぎの休憩にここを使うくらいになったのである。

三原駅ホームの裏側。古そうな建物だが現在も使用されているという

「あれ? セブンイレブン、いいなあ……」

 このあたりで糸崎機関区の跡を出て、糸崎の町を歩く。海側には倉庫街があり、その中にはかつて線路が通っていたであろう廃線跡もあった。港まで線路を伸ばし、貨物を積み替えていた時代があった確かな証拠といっていい。跨線橋で線路を跨ぐと、北側に迫る山と海の間のわずかな平地。そこに糸崎の市街地(というか住宅地)が広がり、小学校や中学校も。国鉄時代の官舎やJR西日本の社宅もその中にあるという。かつて鉄道の町だった糸崎。小学校や中学校の生徒たちの大半が鉄道マンの子供という時代もあったのだろうか。糸崎の社宅に暮らしていたことがあるという、同行してくれた広報氏がつぶやく。

「ほんとに糸崎ってなにもないんですよね。コンビニに行くのも遠いから、大変でしたよ。夜中に腹が減って、でも家になにもないってなるとね、延々と歩いて……」

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 そんな思い出話を聞きながら線路沿いの国道185号を歩いて駅に向かう。すると、いよいよ駅前というところでセブンイレブンの看板が。

「あれ? こんなところにできたんだ。これは糸崎の社宅の人は喜びますよ。乗務員もここがあれば休憩時間も安心でしょう。いいなあ……」

糸崎駅の改札。今年3月から改札口が無人になったという

 実際に糸崎駅前で気軽に入れる商店はこのセブンイレブンくらい。それでもなにもないよりはマシ、糸崎に暮らす人はだいぶ便利になったと思っているに違いない。と思ったら、懸田さんが「昔ながらの商店街が少しだけど残っているんですよ」と教えてくれた。