「浜崎あゆみはバカじゃない」
《いくら嫌われても、あるべきものが、内面にきちんとあれば、それが理解された時、嫌われ度合いが大きいほど、振り子は次には逆に振れる。そう、「嫌い」から「好き」に大きく振れる。だから、自分の人生を全部暴露しちゃえ、いい詞が書けることは間違いないんだから、それで押していけという戦略をとった》(※3)
この戦略の一環として、1998年12月28日、浜崎はニッポン放送のラジオ番組『オールナイトニッポン』でゲストパーソナリティーを務めた。放送を前に「浜崎あゆみはバカじゃない」とキャッチフレーズを打ち、テレビでも番宣を流した。はたしてこの放送は伝説となる。番組中、浜崎が嫌いという人たちが電話をかけてきて話をしたのだが、彼女は相手をすっかり共感させて泣かせてしまったのだ。その反響はすさまじく、翌日には浜崎の公式サイトの掲示板がパンクするほどであった。
「衣装は変えられないから、エレベーターを作り直して」
それから4日後、1999年1月1日に発売された1stアルバム『A Song for ××』は150万枚を売り上げる大ヒットとなる。デビュー以来、シングルは2カ月おきというハイスピードでリリースされていた。それは常に露出している印象を与えようという戦略だった。このころすでにシングルCD全体の売れ行きが低迷する兆候が出始めており、松浦は、長い時間をかけてじっくり売るのではなく、短期間に浜崎のファンをつくっていこうと考えたのだ(※3)。浜崎のブレイクとともに、エイベックスは1999年12月には東証一部に上場する。
こうして松浦の戦略により大勢のファンを獲得した浜崎は、自分をプロデュースする術も身に着けていく。2000年に初めて行なった全国ツアーも、基本はすべて彼女の意向を反映した。衣装もまず自分でデザイン画を描いてスタッフに指示した。ある衣装があまりに大きくて、ステージに上がるエレベーターに入らないことがわかると、《衣装は変えられないから、エレベーターを作り直して》と言ってつくり替えてもらったという(※2)。松任谷由実などのステージを手がけてきたディレクターの大橋誠仁は、このとき初めて浜崎と仕事をしたが、当初は彼女を疑っていたのが、いざ一緒にやってみて、《自分はこういうことをやりたいという意思が明確な人。自分がどう見られているか、どう演出すればいいか、常に考えている。クリエーティビティーがあるんです》と絶賛している(※4)。