韓国では恥は「かかされるもの」と考える
両国の社会風潮の「一見同じに見えるけど、実は結構違う」を論ずるため、あえてよく使う慣用表現を一つ用いるなら、「世間様を気にする」をある種の約束事として考えた場合はどうでしょうか。
世間を気にしすぎるのはよくないという話も聞きますが、それはあくまで「気にしすぎた」場合のこと。日本で住むようになってから、さらに強く感じるようになりましたが、世間様を気にするのはとても良いことです。韓国にも「町の恥(ドンネチャンピへ、町中で恥ずかしい)」といって、何か社会通念上ありえないことをやった場合、世間の笑いものにされることを大いに恐れる表現があります。
ただ、もともと「恥」という概念が、韓国では「かかされる」、日本では「かく」ものであるため、その意味合いは日本とは似て非なるものです。日本で言う「世間」という言葉は、「相手」に気を遣う日本の「建前」の表れです。韓国で言う「町」は、自分で「自分」に気を遣う「体面(チェミョン、韓国人特有のプライド意識)」の表れです。
自分が自分にかかせる「恥」
韓国社会の「(町の恥という表現の)町」という考えを、本書のテーマ「なぜ韓国人は借りたお金を返さないのか」と繫げてみると、こうなります。
お金を借りたことで、人(貸してくれた人)に対して「悪いことをした」や「恩を受けた」と考えるならば、視野を広くするとそれは恥の概念になります。常識的に考えて、お金を借りるのは愉快なことではありません。「急に必要だったから、なんとかなってよかった」と思うことはあっても、所詮は借金です。人生設計またはビジネスのために銀行から借りたものならそうでもありませんが、私的な、例えば友だちから借りたものなら、良かったよりは「悪いな」と先に思うでしょう。
ある意味では、それは自分自身による自分自身への恥であり、それをちゃんと返すことで、その恥を取り除く、いわば浄化することができます。浅い知識の日本語で恐縮ですが、「払う(返す)」ことで「祓う(恥を取り除く)」を得る、とも言えるでしょう。