同期の羽鳥アナウンサーとは“陽と陰”の関係
藤井貴彦アナは東京都新宿区出身。慶應義塾大学環境情報学部卒業後、1994年に日本テレビに入社した。同期はいまや人気トップのフリーアナウンサー、羽鳥慎一(49)だ。
「羽鳥アナが182センチメートル、藤井アナが181センチメートルなので、新人時代は『ツインタワー』の愛称で2人は呼ばれていました」(日テレ関係者)
だが、2人の辿った道は対照的。まさに陽と陰だった。
入社当初から羽鳥は報道にバラエティに大活躍。日本テレビの朝の看板枠だった「ズームイン!!SUPER」の司会を8年にわたり担当し、40歳となった2011年には華麗にフリー転身。いまや自分の名前を冠した「羽鳥慎一モーニングショー」(テレビ朝日系)が視聴率同時間帯トップ。「週刊文春」恒例の好きなアナウンサーランキングでは、2017年は3位、2018年と2019年は2位と常にトップスリーをキープしている。
対して藤井アナは地味で目立たないアナウンサーだった。入社後は「ニュースプラス1」のスポーツキャスター、ニュースキャスターなどを担当。まさに堅物で、周囲からも“接しにくい”人物だと思われていた。「昔の藤井アナのキャラは今とは全然違う」と語るのは、若手時代を知るテレビ業界関係者だ。
「正直、若手の頃はあまり感じのいいタイプではなかった。後輩やスタッフの面倒見も良くなかった。プライベートを明かさないことでも有名で、ご結婚して小学生くらいのお子さんもいらっしゃいますが、ごく近しい人以外には家族の話すら一切しない。『アナウンサーは芸能人ではない。プライベートをやたらに明かす必要はない』との考えなんだそうです。結婚したときも周囲に積極的には知らせなかったようです。いい意味でも悪い意味でもドライだった」
1999年「ウリナリ!!」ドーバー海峡横断部に参加
その堅物キャラがバラエティでハマることもあった。当時、高視聴率をとっていた「ウッチャンナンチャンのウリナリ!!」の人気企画“ドーバー海峡横断部”。1999年のことだ。
「内村光良をリーダーに、ウド鈴木、よゐこ濱口、堀部圭亮、藤井アナと元プロテニスプレイヤーの神尾米さんが、イギリスとフランスを隔てる約34キロメートルのドーバー海峡をリレーで横断するという企画です。企画開始時のメンバーが次々脱落し、新たな部員として参加したのが当時27歳だった藤井アナでした。
横断実現までに2年ほどかかった長期コーナーだったので、横断実現した頃にはメンバーが相当仲が良くなったとか。『横断成功したら合コンをしよう』という内村さんのかねてからの提案で、藤井アナが仕切って三宿にあるダイニングバーで合コンを開催したようです。女性陣は藤井アナが声をかけ、CAやOLが集まったとか。でも『あまり盛り上がらなかった』と内村さんがラジオで明かしています」(同前)