バナナマンは、デビューまもなくして、設楽が台本を書いてコントの単独ライブを始めた。当時芸人だったオークラは、1995年のライブ「処女」を観に行ったとき、「自分が知っているお笑いルールとは違うことをやっている」と思ったという。彼は、《ダウンタウンさんが全盛期で、若手みんなが新しいことを模索しながらやってたなか、バナナマンはもう出来上がってた。当時から同期や若手の中で抜きんでてすごかったです。しかも、あのとき観たものが、その後のバナナマンと基本的に、なんら変わってないんです》と証言する(※2)。そのオークラはしばらくすると構成作家に転じ、バナナマンのライブや番組に携わるようになり、のちには“第3のバナナマン”とも称されるようになった。
ライブを中心に活動を続けてきたバナナマンは、同年代の多くの芸人のように『ボキャブラ天国』『エンタの神様』『爆笑レッドカーペット』といった番組に出てブレイクするという道を通らなかった。早い時期より芸人仲間から一目を置かれ、お笑い通のファンの支持も集めながら、世間的に注目されるようになったのは、2005年スタートのTBSのバラエティ『リンカーン』に準レギュラーとして出演し始めたあたりだろうか。2008年には、「コント日本一」を決めるキングオブコントの第1回で準優勝となったものの、東京のキー局でゴールデンタイムに冠番組を持つこともなく、大ブレイクとは無縁で来た。2011年のインタビューで設楽は、こうした状況をどうとらえているかと訊かれ、《ちょうどいいんじゃないですかね。なんか、今の俺らに(笑)》と答えている(※2)。もっとも、そのときすでにテレビで彼らを見ない日はなくなっていた。2014年からは4年連続でNHKの『紅白歌合戦』で副音声の「紅白ウラトークチャンネル」を担当した。王道から外れ、我が道を歩み続けた末にたどり着いた大舞台が、国民的番組の副音声というのが、いかにもバナナマンらしい。
バナナマンの“モンスター”は日村ではなく設楽?
日村への容赦のないいじりから、設楽は“ドSキャラ”と言われることも多い。ただ、いじられる側の日村は、設楽について《ドSって言っちゃえばそうなのかもしれないけれど、やっぱり独特な追い込みの仕方があるし、ちょっとおかしいんですよ。そこにいる全員が“ここ”で納得してるのに、設楽統だけが“その先”を望んでたりする。(中略)それはドSという言葉だけじゃ足りないかもしれない。笑いに貪欲っちゃ貪欲だし》と評し、わかりやすい例としてビンタをあげている。これを受けて設楽も、《ビンタをするなら本気で、首を刈るくらいのビンタをしたい。「ありえねえだろ!」って笑いを求めちゃうんですよね》と語った(※2)。そんな彼の姿勢に狂気スレスレのものを感じてしまう。バナナマンに対しては、日村がモンスター、設楽がモンスター使いにたとえられたりもするが、ひょっとするとモンスターと呼ぶにふさわしいのは、日村ではなく設楽のほうなのかもしれない。
今年2月に開催された「マジ歌ライブinさいたまスーパーアリーナ」では、日村が深夜バラエティ『ゴッドタン』(テレビ東京)から生まれたヒム子というキャラに扮し、やせない悩みを込めた歌を披露した。このとき「設楽に隠れて食べまくる」という歌詞を口にすると、設楽がすかさず駆け寄り、スリッパで思い切り日村の側頭部をはたいて、爆笑を呼んだ。そのときの音がまた快いほどで、設楽統はツッコミとしても一流だと思わせるに十分であった。
※1 「電脳サブカルマガジンOG」2010年11月30日
※2 『クイック・ジャパン』vol.94(太田出版、2011年2月)