高校時代から漠然とお笑いをやりたいと考えており、雑誌で知ったタレント養成所に入所したのを機に、東京で一人暮らしを始めた。このとき部屋を紹介してくれた不動産屋の人がバイト先まで紹介してくれたという。養成所のレッスンはどうも性に合わず、バイトばかりしているうちに足が遠のいた。
リムジンぶつけて「長いから曲がる感じ違うんですよね」
だが、ここでまたチャンスが巡ってくる。父の大学時代の同級生に、制作会社の経営者がおり、その人から渡辺正行の主宰していた劇団七曜日の稽古を見に来ないかと誘われたのだ。渡辺も出演していた『オレたちひょうきん族』を見て育った設楽は当然ながらこの話に飛びつく。さらに幸運なことに、稽古場に赴いたところ、渡辺のマネージャーから「リーダー(渡辺のこと)のいまの付き人が1~2週間でやめちゃうんだけど、君、やんない?」と言われ、二つ返事でOKした。
付き人は運転手も務めねばならない。設楽は一応、免許は取っていたものの、地元・秩父の田舎道を軽自動車で数回走った程度。それがいきなりリムジンを運転することになる。運転初日、駐車場から渡辺宅にリムジンで迎えに行ったところ、家の壁にぶつけて車体をへこませてしまう。このときのことを渡辺は後年、《アイツさ、そんな状況でも慌てないのよ。「すいません。なんか長いから曲がる感じ違うんですよね」って淡々と。脱力して、俺も怒る気失せました。ただ、見せしめの為にずっと修理はしなかったですけど(笑)。冷静ともまた違うあの感じ》と振り返り、設楽は当時から飄々としていたと証言した(※2)。
ただ、付き人をしていると私生活は完全につぶれ、寝る暇もなく、けっして楽ではなかった。渡辺は理不尽なことで怒る一方で、たまに優しいところを見せるという感じだったらしい。あるときには、《いいか? 芸人やりてえんだったら、付き人のプロにならなくていいんだから。いつまでもこれはやんなくていいから、お前が何かやりてえと思ったときには、いつでも辞めていいんだからさ》と言われたという(※1)。
設楽が日村と出会った日
渡辺は渋谷のライブハウス、ラ・ママでお笑いライブのMCも務めていた。設楽はそれを見に行くうち、同世代のお笑いをやっている友達もできた。やがて劇団七曜日のメンバーだった西秋元喜とその相方、そして当時渡辺の事務所にいた日村と知り合うと、4人でお笑いグループを組むことになり、付き人をやめた。ただ、設楽はこの4人でやっていくことに次第に違和感を抱くようになる。そのころ台本を書いて日村に読ませたところ、面白がってくれた。これを機に「俺たち2人でやらない?」と誘い、バナナマンを結成する。1993年のことだ。