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 その日もいつも通り志村さんを『飛び込んじゃダメだよ』と引き留めるんですけど、志村さんが『止めないでくれー』と3度、4度、何度も飛び込もうとするんです。気が付けばそのやりとりが2分以上続いていました。それは、僕の両親が舞台を観に来ていたので、志村さんがいつもより長く僕が舞台にいる時間を作ってくれていたんですね。舞台終了後に、急いで楽屋に御礼を言いに行ったら志村さんは照れ笑いをされていました。いつもは厳しい志村さんですが、僕は感謝とうれしさで涙が止まりませんでした。本当にありがとうございます」

 志村は、げそ太郎氏が東京を離れてからもずっと成長を見守っていた。12年、あるテレビ番組の撮影ロケで志村が鹿児島を訪れ、げそ太郎氏は師匠と再会を果たした。

現在、故郷の鹿児島でレポーターとして活動するげそ太郎氏。「かごニュー」(鹿児島テレビ)より

「げそを使っても大丈夫だよな」

「志村さんがロケの前入りで鹿児島の指宿温泉街に来ていたので、挨拶に行ったら『一緒にご飯でも食べていけよ』とお声を掛けてもらいました。志村さんとスタッフさんを含めたお食事会に参加させていただいて、最後に志村さんが『お前、明日一緒に番組に出たらどうだ』と言われて、すぐスタッフさんに相談してくれて『ここのシーンで、げそを使っても大丈夫だよな』と。鹿児島で志村さんと共演することができて言葉がありませんでした。

 実は、それまで僕はいつも本名の“シンイチ”と志村さんに呼ばれていました。それが芸名の“げそ”と初めて呼んでいただいて、少しだけ志村さんに認めていただけたようで、とてもうれしかったです。でも本当はもう一度、志村さんに“げそ”と呼んでほしかったです」

 げそ太郎氏は師匠の遺品整理のお手伝いを切望したが、新型コロナの影響でそれも叶わない状態だという。「さよならするのはつらいけど、時間だよ、仕方がない、次の回までごきげんよう」——げそ太郎氏の脳裏にはドリフのエンディングの音楽が繰り返し鳴り響き、いまでも涙が止まらないのだという。

ドリフターズ ©文藝春秋

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