「将棋観が根底から覆された」
第1局は花の都・パリで開催。渡辺が得意の穴熊に囲い、玉を固めてから激しく攻めかかる。羽生の陣形は、バランスはいいものの玉がさほど堅くない。渡辺も控室の検討陣も、渡辺側が有利と判断していた。ところが、実際は羽生にうまい指し方があって、渡辺の攻めは決まっていなかった。その判断をできていたのは羽生だけだった。この後も羽生が的確な指し回しで渡辺を圧倒する。
穴熊でがっちり固めて攻める。渡辺は得意な展開に持ち込んだにもかかわらず、それを上回る羽生の将棋に「将棋観が根底から覆された」「僕にとっていちばんあり得ない手が最善手だった」とショックを受ける。近年はバランスを重視する将棋が増え、渡辺も取り入れているが(「固める将棋」から「バランスの将棋」へ 渡辺明二冠が見せた新機軸とは)、この対局は羽生が時代を先取りしていたと見ることもできるだろう。羽生の名局といえる一戦だった。
「打ち歩詰め」で踏みとどまる
第1局のダメージが大きかったか、渡辺は第2局と第3局でも敗れてしまう。筆者は岩手県平泉で指された第3局を取材した。渡辺が勝負どころで消極的な選択をしたため苦戦となり、結果は羽生の快勝。カド番に追い込まれた渡辺は、打ち上げ後に一人最終の新幹線で東京に帰った。さすがに元気のない姿で、勝負あったかに思えた。渡辺自身も「第4局に勝つイメージは浮かばなかった」と自著で述懐している。
将棋のタイトル戦は、棋戦によって七番勝負と五番勝負の2種類ある。五番勝負では2連敗後の3連勝は10回以上ある。羽生も2008年の第79期棋聖戦で、佐藤康光棋聖を相手に2連敗後に3連勝して逆転奪取を果たしている。
だが、七番勝負で3連敗後の4連勝はそれまでなかった。3連敗後に3連勝で追いついた例は2回あったが、いずれも第7局で弾き返されていた。そもそも、羽生に4連勝することが非常に困難だ。
渡辺はカド番の第4局で、第3局までの反省から積極策に打って出た。昭和に一時代を築いた大山康晴十五世名人や中原誠十六世名人といった第一人者たちは、窮地に追い込まれると普段以上に積極的に指して危機を脱したものだった。
対局は形勢が揺れ動く激戦になった。終盤、羽生が渡辺の玉の周辺にいた守り駒をはがして追い詰める。ついに決まったかに見えたところで、渡辺は反撃に出た。万事休すと思いきや、渡辺の玉は「打ち歩詰め」(最後に歩を打って相手の玉を詰ますのは反則になる)でわずかに踏みとどまっていたのだ。最善を尽くせば羽生に勝機はあったが、軌道を修正することができず、渡辺が接戦を制した。