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「岡江久美子さんを17年半も付き合わせてしまった」はなまる初代プロデューサーが今でも気にしていること

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「テレビ朝日の喫茶室で打ち合わせをしました。岡江さんから『ゴシップを扱ったり、細かい番組進行が必要な司会はできない』と言われていたので、番組進行は薬丸(裕英)さんが中心だし、扱うテーマは生活情報なので、と番組のコンセプトをお伝えしました。

 そして『主婦としての疑問や聞いてみたいことを、進行表に関係なく遠慮なく言ってください』と説明し、快く引き受けていただけました。岡江さんご自身もちょうど40歳という区切りの年だった。何か新しいことをはじめたいと考えていたそうです」 

「はなまるマーケット」出演者の(左から)斎藤哲也さん、薬丸裕英さん、岡江久美子さん、久保田智子さん(2004年) ©時事通信社

スタート時に「唯一お願いしたこと」

「はなまるマーケット」がスタートした年、TBSは、坂本堤弁護士がオウム真理教を批判するインタビュー映像を教団幹部に見せた「オウムビデオ問題」によって、ワイドショーが次々打ち切りに追い込まれていた。そんな中で、ワイドショーの後番組の制作担当者として白羽の矢が立ったのが石川氏だった。

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「スタートさせる時、とにかく時間がなかった。『モーニングEye』という前番組の終了決定が5月の連休明けで、『はなまる』は9月スタートですから約4カ月しかない。企画書作成、キャスティング、スタッフ確保などに奔走しました。当時管理部門にいた私に後番組の企画・制作の指名があったのですが、今考えても入社以来一番働いた期間だったと思います」

 当時、会社からは「ワイドショーはやめろ」という指示はなかった、と石川氏はいう。

「会社から言われた後番組をはじめるにあたっての条件は、生放送であることと、行き過ぎた取材をしないこと。それに加え、私は事件事故などの“発生もの”や芸能ネタをやらないこと、『日常の幸せを大切に、明るく楽しく暮らせる』生活情報番組にすることを決めました」

 こうして岡江さんとともに「はなまるマーケット」という番組をスタートした。石川氏は、岡江さんに対してほとんど指示をしなかったというが、「唯一お願いしたこと」があるという。