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「岡江さんには、『番組のオープニングで、昨日あったことや最近感じたことを、フリートークで薬丸さんと話してください。時間は短くても長くても構いませんから』とお願いしました。番組冒頭の他愛もない会話が視聴者に受け、このオープニングトークは後に好評となりました。

 これまで様々な芸能人の方と仕事をしましたが、岡江さんほどこちらの伝えたいことを素早く理解して表現してくれる方はいないんです。慌て者でおっちょこちょいと思われがちですが、とても聡明な方ですよ」

瞳を輝かせながら「宝塚」を語っていた

 ベイ・シティ・ローラーズの「二人だけのデート(I only want to be with you)」をバックに「はなまるマーケット」のオープニングトークは始まる。そして、番組開始の合図は、岡江さんがリードする「はなまるマーケット、オープン!」というタイトルコールだった。

「17年間でお茶の間にも定着したこの掛け声は、実は岡江さんが発案なんです。番組スタート前日のリハーサルで、岡江さんが『何か掛け声がないと始めにくい』とおっしゃって。それでいろいろ考えたのですが、最終的に岡江さんから『(はなまる)マーケットだから、スタートじゃなくてオープンがいいね!』と言われて、あのような形になりました」

 石川氏が同番組のプロデューサーを務めたのは番組が開始した1996年から2000年までの期間だった。

「その間、岡江さんとは挙げればきりがないほど飲みに行きました。スタッフと一緒に、浜松町の立ち飲み屋、有楽町のガード下、銀座のピアノバーもあれば三軒茶屋のスナックまで。あまり気取った店は行きませんでしたね。する話といえば、ドラマや映画、舞台に関する話が多かった。岡江さんは宝塚も大好きで、瞳を輝かせながら熱く語っていたなぁ。2軒目は必ずカラオケに行って皆で歌いました」

亡くなった岡江久美子さんの遺骨を抱える夫の大和田獏さん(4月24日) ©共同通信社

ずっと気になっていたこと

 石川氏が最後に岡江さんに会ったのは今年2月。友人らとの食事の席だった。

「岡江さんは最近、世界各地を旅行していたようで、海外での体験談や写真などを見せてもらって楽しく過ごしました。食事会が終わったあとも、『石川さんの好きそうな映画観ました!』とか、『キャッツを観ました』とか頻繁に連絡をくれていましたね」

 突然の訃報に肩を落とす石川氏だが、岡江さんについて、ずっと気になっていたことがあるという。

「岡江さんの訃報を伝えるとき、NHKやほかの民放まで『はなまるマーケット』という番組名を伝えていた。岡江さんを代表する作品になったことは誇らしく思います。一方で、声を掛けた初代プロデューサーとしては、岡江さんに17年半もこの番組に付き合わせてしまって本当に良かったのだろうか、と申し訳なく思う気持ちもあります。

 でも、日本中の皆さんが毎朝、彼女のはつらつとした姿を見て、楽しく元気に笑顔で生活していく原動力をお届けできたんですから、岡江さんも喜んでくれていると信じています」

 その明るいキャラクターで朝を彩った岡江さんの“代表作”は、いまも人々の心の中に残っている。

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