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盆踊りの哲学――政治学者・栗原康インタビュー#2

「長渕さんが一遍に近いなって思うのは、毎回、マジで死ぬ気だというところ」

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盆踊り大会でひと踊りしたあと、居酒屋で行った政治学者・栗原康さんのインタビュー。鎌倉時代の一遍が広めた「踊り念仏」は、頭をガクガク、体をグニャグニャにゆりうごかし、まちがった身体のつかいかたに徹していくことで、自由奔放に生きる身体感覚をつかむものでした。ビールがとまらない後編は、意外にも「長渕剛」論へ広がっていきます(#1より続く)。

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踊り念仏は、縦ノリのパンクロックに近い

©榎本麻美/文藝春秋

―― 一遍の踊り念仏は、合唱団のような野外での念仏からはじまったのならば、音楽的な要素も強いですね。

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栗原 音楽フェスっぽいんですよ。一遍がすごいと思うのが、江の島で最大120日間ぶっ通しで踊ったらしいんです。夜通し。その間に休んでいるひとはいると思うんですが、「貴賎あめのごとくに参詣し、道俗雲のごとくに群集す」と『一遍聖絵』に記されています。数千人規模で集まったのではないでしょうか。もう踊りのお手本役なんてまったく見えないレベルだと思います。きっと最初は見よう見まねで、そして最後はもう好きなように、それぞれいろんな型で踊っていたんじゃないでしょうか。

―― 120日間、踊り続けるというのは人間の限界を超えちゃっています。

栗原 失神したり、踊りながら死んじゃうひとも出たらしいです。死してなお踊れですよね。夏の音楽フェスでも、みんなピョンピョン跳ねるじゃないですか。一番近いのがパンクロックかなと思っていて。あれは上下運動の縦ノリをずっと続けて、ハネてますよね。あの感覚がすごく近い気がします。

―― 栗原さんは、長渕剛さんの大ファンですよね。

 

栗原 はい。もちろん、長渕さんの曲はパンクロックではなくて、もうちょっとコブシが入るような感じですが、でも一遍に近いなって思うのは、毎回、マジで死ぬ気だというところ。オールナイトコンサートは、ほんとうにやばかったですね。もともと長渕さんって、一曲一曲、魂を叫びあげていくような感じで歌うんですけど、それが9時間。おととし、富士山(「10万人オールナイト・ライヴ2015 in 富士山麓」)があって、行ったんですけど、歌いながら死んでしまうんじゃないかと思いました。

―― アハハハハ。富士山の前には、桜島でもオールナイトコンサートがありました。

栗原 今から13年前、長渕さんは2004年8月に「桜島オールナイトコンサート」をやりました。僕はそれも行ったんですけど、これがまたすごかったですね。朝6時。観客はみんな全力をだしきってヘロヘロになっている。でも、長渕さんが「もう一曲やるぞ!」って(笑)。「チャ~チャラ~ラ~」って、「Captain of the Ship」が始まったんですけど、この曲がCDでも15分間あるんです。

―― とどめの一撃のように……。

栗原 朝日がのぼってカンカン照りになったところで、「いくぞー! いくぞー!」と叫びながら、すさまじい勢いで曲をやり始めたんです。およそ30分(笑)。「Captain of the Ship」はファンにとっては伝説の曲なので、約8万人の観客も死力を尽くして、拳をつきあげて頑張るんですけど、僕が後ろの方の席から見ていたら、「シャー! シャー!」と拳をあげながら、前の方がバタバタバタッて倒れていくんです。「あぁ昇天した……」と。

©榎本麻美/文藝春秋