安否を気づかう声が各方面から出ると、当局は「蒋医師の現在の仕事、生活、学術活動などはいかなる制約も受けていない。全ての国民は法のもとで言論の自由を享受しており、蒋医師も当然例外ではない」と説明した。だが、蒋医師と親しい余傑氏によると、厳しい監視下で生活していたという。
中国における言論の現実を表す写真
筆者の手許に1枚の写真がある(2006年1月、北京市内)。
これはSARS事件の3年後、蒋医師らが厳重な監視をかいくぐってようやく会えた時の貴重な記録写真である。だが、ここにいる人たちに、その後の再会はない。
この写真は中国における言論の現実の縮図である。
蒋培坤・丁子霖夫妻は愛息を天安門事件で失ったが、他の遺族とともに「天安門の母」というグループをつくり、真相究明や犠牲者の名誉回復を求め、そのため監視生活を余儀なくされた(蒋培坤は2015年に逝去)。
劉暁波は2008年の「08憲章」の中心的起草者で、日本でも『天安門事件から「08憲章」へ 中国民主化のための闘いと希望』という著書を出しているが、国家政権転覆煽動罪により投獄された。2010年に獄中でノーベル平和賞を受賞したが、授賞式には彼だけでなく、妻の劉霞さえ出られなかった。そして2017年に事実上の獄死を遂げた(『劉暁波伝』集広舎に詳しい)。また、劉霞は軟禁生活の果てに、2018年、ドイツに事実上亡命した。
軍病院における死刑囚の腎臓摘出・売買を告発
余傑夫妻も監視生活を強いられ、2012年、アメリカに事実上亡命した。
そして蒋医師は、2015年、香港のメディアに軍の病院における死刑囚の腎臓の摘出・売買や天安門事件におけるダムダム弾による虐殺について告発。天安門事件の真相究明と犠牲者の名誉回復を求める書簡を習近平主席に送った。しかし、公の場では沈黙を強いられている。