昭和34年(1959年)創刊の総合週刊誌「週刊文春」の紹介サイトです。最新号やバックナンバーから、いくつか記事を掲載していきます。各号の目次や定期購読のご案内も掲載しています。

大航海時代に日本に到来した「性感染症」

〈長い人類史からすれば、感染症の危機は新しいものです。人口密度が低く小さな集団で生活していた狩猟採集の時代は、感染症流行の範囲もスピードも抑えられていたはずです。

 ところが、「牧畜」でヒトと動物との接触が増え、「農業」の開始によって「定住化」が進んで「都市」ができると、結核、コレラ、天然痘、マラリア、ペスト、インフルエンザなど感染症の大流行が頻繁に起こるようになりました。さらに大航海時代のように、「ヒトの移動」が激しくなると、感染症も、大陸横断的に猛威を振るうようになります。災害や戦争よりも感染症が世界人類に大量死をもたらす段階です〉

スペイン風邪対策のマスクをつけた女子生徒たち(日本、1920年) ©getty

 つまり、「感染症の危機」は、人類史にとって比較的「新しい現象」なのだ。「ヒトの大移動」によって初めて、感染症の流行も世界規模になったのである。

〈大航海時代に日本に到来したのは、「火縄銃」や「キリスト教」だけではありません。「性感染症」もヨーロッパから入ってきました。

 豊臣秀吉が朝鮮へ攻め込もうと日本中の軍勢を肥前名護屋城に集めた時、「肥前わずらい」という性感染症が流行り、全国に広がりました。これは梅毒で、気の毒なことに、家康の子・秀康(福井藩主)も感染しました。家康が「鼻の形もかわることなきか」と尋ねると、秀康は「鼻の損じたるを隠さんための張付薬」を装着していました(『岩淵夜話別集』)。健康上の理由もあり、弟の秀忠が二代将軍になったといわれます〉

鎖国中は長崎が「感染症の玄関口」になった

「鎖国」は、今日で言うところの「水際対策」の意味もあったという。

感染症の世界史』の著者、石弘之氏

〈その後の「鎖国」は、感染症流行に一定の抑止効果をもったはずです。ただ、その鎖国下でも、「天然痘」や「コレラ」などが侵入してきました。今から約200年前の1822年、コレラの世界的な大流行が日本をも襲いました。原因不明の伝染病が九州から広がり、その後、オランダ商人が持ち込んだことが分かり、音訳して「酷烈辣(これら)」「狐狼狸(ころり)」などと称されました〉

「国際的な玄関口」が「感染症の玄関口」となることも変わらない。当時なら「長崎」、現在は「東京」だ。

〈今回の新型コロナも、海外からの帰国者の多い東京で感染者が多く報告されていますが、この時代は、外の世界との窓口だった長崎が“感染症の玄関口”にもなりました。京都府立大の東昇氏によれば、長崎に近い天草の高浜村では、村人が「隔離小屋」を設けたようで、昔、東氏とこの村を調査したことがあります〉