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攘夷思想の背景にあった“コレラの恨み”

「感染症の大流行」は、「歴史」を動かす大きな「原動力」にもなり得る。

〈1858年に、コレラが、再び日本を襲いました。この時も長崎に寄港した「ペリー艦隊」から感染が広がっていて、石弘之氏はこう述べています。

「1858年には、ペリー艦隊の一隻のミシシッピ号にコレラに感染した乗組員がいたため、長崎に寄港したときにコレラが発生した。8月には江戸に飛び火して3万人とも26万人ともいわれる死者が出た。その後3年間にわたって流行した。その怨みは黒船や異国人に向けられ、開国が感染症を招いたとして攘夷思想が高まる一因になった」(『感染症の世界史』)

スペイン風邪の患者が集められた病院(アメリカ、1918年) ©AFLO

 攘夷思想の背景には「西洋=病原菌」とみる状況があり、これが日本史を動かすエネルギーになった面があります〉

明治初期にもあった「政府からの自粛要請」

「治療薬」も「ワクチン」もないかぎり、「新型ウイルス」に対して我々にできることは、昔も今もさほど変わらない。明治初期に流行した「牛疫」(家畜伝染病)への日本政府の対処方針は、次のようなものだった。

日本を襲ったスペイン・インフルエンザ』の著者、速水融氏

〈その内容は、衣服を清潔に保つこと、体を清潔に保つこと、掃除をすること、窓を開けて換気をすること、酒の暴飲はやめること。さらにスゴイことに、房事すなわちセックスは節制すべしと、「セックスの回数を減らせ」とまで要請しています〉

 今でいえば、まさに「国民への生活面での自粛要請」だ。

 なかでも、今回の新型コロナウイルスを考える上で、最も重要な「参照例」となるのは、約100年前(1918~1920年)に世界で大流行した「スペイン風邪」だという。

〈速水先生が各種統計を整理したところ、死者数は、「日本内地」で45万人(人口の0.8%)、「樺太」で3800人(人口の3.5%)、「朝鮮」で23万人(人口の1.4%)、「台湾」で4万9000人(人口の1.3%)。日本本土だけで45万人、「外地」を含めると、74万人もの死者が出ているのです〉

 重要なのは「被害規模」だけでなく、「スペイン風邪」の流行は、一度で収まらなかったことだ。