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受け取った優勝カップにオレンジジュースを注いで

 1976年(昭和51年)4月、田園調布雙葉中学校に進学した雅子さんは、制服のセーラーリボンが紺色に変わり、背が少し伸びた。

1976年、中学校入学時に家族で記念撮影(宮内庁提供)

 その頃のお気に入りはもっぱら野球だった。なかでも巨人の高田繁選手のファンだった。

 入学間もない4月、学校にクラブ設立の申請をした。ところが、校庭の広さから野球は無理で、さほど球が飛ばないソフトボールの”同好会”ならいいという。

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「当時はアイドルのフィンガー5や西城秀樹が人気だったんですが、オワは歌番組をほとんど見ないようで、まるで芸能界に関心がなかったですね。下敷きには、高田選手の『週刊ベースボール』の切抜きを挟んでいました。高田選手の魅力を聞くと、野球の技術と優しそうな顔をしているから、と答えていました」(同級生)

 雅子さんが2年生になると、ソフトボール同好会は”部”に昇格した。小さい方だった雅子さんの身長は大きく伸びて、鍛えた身体付きになった。

 1978年(昭和53年)、3年生になった。中学生活の掉尾を飾るような、思い出に残る試合をしたかった。7月の世田谷区中学校夏季大会のことだった。

 泥んこになっての接戦を、ついに逆転サヨナラ勝ちで制した。奇跡の優勝に雅子さんたちの喜びは爆発し、受け取った優勝カップにオレンジジュースを注いで皆で回し飲みをしたという。

中学3年生の夏、世田谷区のソフトボール大会で優勝

 雅子さんは学校生活を心から楽しんでいた。

 のちに雅子さんは、ご婚約会見で記者から「皇太子殿下とどのようなお話をされているのですか」と質問されると、

「動物の話と、何かしら……、子どもの頃したいたずらの話とか……」

 と、相好を崩して答えられた。