2019年5月1日に天皇陛下が御即位されて1年ーー。
 新皇后の半生を徹底取材した決定版を140枚余の胸打つ写真とともに再構成した『皇后雅子さま物語 ビジュアル版』(文春ムック)から、令和の皇后のこれまでを特別公開します。 

◆ ◆ ◆

ハロウィンでは「ガイコツ姿」に

 雅子さんと家族は、6年ぶりに日本に帰国した。恆氏が外務省大洋州課長として、本省に復帰することになったのだ。

 雅子さんは目黒区立原町小学校の1年に編入したが、小学2年生になってすぐ、新宿区大久保の官舎に引っ越したために、新宿区立富久小学校に編入した。

ADVERTISEMENT

8歳のお誕生日に母と二人の妹と(宮内庁提供)

 雅子さんは自分の意見を言う時は静かに言うが、外国語訛りはまだあり、普段は、同級生の目に「おとなしい人」と映った。

「でも、学校に慣れてくると積極的になりました。相手が受け入れてくれるという状況が確認できれば、安心して力が発揮できるタイプなのではないでしょうか。ご成婚のころ、アメリカでハロウィンの格好をしている姿の写真が公開されましたが、妹さんたちは動物の絵が描かれた可愛らしい衣装だったのに対して、雅子さんはユニークなガイコツ姿だった。あれが、まさしく雅子さんのセンスなんですよ」(男子の同級生)

前に出ることより、自然に必要とされることを好まれる

 雅子さんは世田谷区の田園調布雙葉学園の編入試験を受験し、72年(昭和47年)2月に合格した。

 春休みには家族で京都・奈良へ旅行した。奈良公園では鹿せんべいをあげるのに夢中になった。動物好きの雅子さんは、積極的に欲しがる鹿よりも気弱そうな鹿を見つけては、そばに近づいて「あなたもお腹すいちゃったわよね。たくさん食べなさい」と言いながら、鹿せんべいをあげた。

田園調布雙葉へ編入した頃、奈良公園で

 4月、雅子さんは田雙の3学年に編入した。クラスで「オワちゃん」と呼ばれて、すぐに友だちもできたが、”優等生”と言われることを嫌った。転校を繰り返してきた雅子さんはおそらく、注目され目立つことに居心地の悪さを感じてきたのだろう。

 皇太子妃となられて脚光を浴びるようになっても、前に出ることより、自然に必要とされることを好まれる。本質的な部分はこの当時すでに出来上がっていたのではないかと思えるのである。