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「自分の身体は他者かもしれない」アーティストを創作に駆り立てる“どきりとする”瞬間とは

アートな土曜日

2020/05/02
note

描きながらその場で何かと出逢っていく

 彼女のつくる作品はドローイング、ペインティング、立体作品にしても、明確なモデルを指し示すことがほとんどできない。人物の顔らしきものが描かれていたりはするが、それは身体と結びついていなかったり。身体のような形態が描かれるときも、奇妙に歪んでいたりする。

everything will be star, 2018, wire and pin on panel in acrylic box,
1200 x 940 x 195 mm ©︎Rikako KAWAUCHI, courtesy of the artist and WAITINGROOM Photo by Shintaro Yamanaka (Qsyum!)

 具体的な事物というよりは感情、いや感情のもっと手前で生じる情動みたいなものに、かたちを与えようとしているのが彼女の創作だと感じられる。となると、画面には実際のところどんなものを描き出そうとしているのだろう。

「それを言葉で示すのは難しいんですよね。特定のイメージを描き出そうとしているわけではないので。あらかじめ計画を持って描くことはしていなくて、描きながらその場で何かと出逢っていく感じです。絵ができるのは毎回、奇跡みたいなものだと思っていますよ。

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 そういえば先日、家族アルバムを見ていたら、自分の生まれたばかりのころの顔写真があって、それはいまの私がドローイングで描く人物の顔によく似てました。赤ちゃんの時の顔は皆どこか共通しているものがあると思います。そういった、自己が形成される前の顔を私は描こうとしているのかな。ちょっとそう思いました」

flower, 2018, watercolor and pencil on paper, 268 x 260 mm ©︎Rikako KAWAUCHI, courtesy of the artist and WAITINGROOM

すぐに『行かなきゃ』と、作品の前に駆り立てられる

 事前の設計図めいたものはないし、途上に操縦桿を使うわけでもない。それではどこまで描いたら、作品は完成したといえるのだろう。何か基準はある?

「描いているうちに、絵がボリュームを持って感じられる瞬間があったりします。画面から生じたそのボリュームが、描いているこちらへ迫ってくるような感触がある。これで絵が完成だと感じるとき、それは、画面に立ち上がるボリュームの張りが最高潮になったときや、そのボリュームに自分が触れて柔らかな画面の張りを感じられている、そして触れた箇所から自分の身体の輪郭を感覚している、そういう瞬間が多いです。

 私の立体作品は、まさに針金などでできた線が中空に飛び出ていますけど、あれは絵を描いているとき画面からせり上がってきた線を、実際に三次元上で表したらどうなるだろうというところからつくってみたものです」

Red plant (2), 2018, wire, FRP, and paint, H950 x W70 x D530 mm ©︎Rikako KAWAUCHI, courtesy of the artist and WAITINGROOM Photo by Kei Okano