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わたしの「神回」

命がけのグルメ番組を作る男が「岡崎に捧ぐ」を読んでグハグハ笑って、チョロっと泣いた“神回たち”

命がけのグルメ番組を作る男が「岡崎に捧ぐ」を読んでグハグハ笑って、チョロっと泣いた“神回たち”

読むと、自分の過去を誰かに話したくなる。

2020/05/09
note

安っぽい青春映画の筋書きは、この世界では全然通用しない

 この作品を貫いているのは、世の残酷である。

 絵のタッチからは想像もつかないかもしれないけれど、読んだことのある人は異論ないはずだ。紛れもなく、この漫画は一貫して残酷な世の中を舞台に描かれている。それは例えば、こんな事件に現れる。

 進学を控えたひとりの不良少年が教員を殴る。せっかく掴んだ推薦入学が水泡に帰すかもしれない。そこで不良の仲間が立ち上がる。男どもは頭を丸め、女どもは髪を黒く染めて、教員に頭を下げる。どうか今回だけは見逃してくれ。あいつの人生がかかっている……。

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 生徒たちの懇願を受けた教員は、「やだよ」と一言。容赦なく被害届を提出。生徒の進学は叶わず、これをきっかけに少年たちは転げ落ちるようにホンモノの非行少年に育っていく。

 そう、安っぽい青春映画の筋書きは、この世界では全然通用しないのだ。

 そもそも岡崎家自体が育児放棄をベースにした崩壊家族の典型だし、初恋の相手がパンツを欲しがる変態だなんて、そんなの悲しすぎてフィクションじゃありえない。がっかりするくらいグロテスクな世界に、山本さんは舟を浮かべてゆったりと揺蕩(たゆた)う。

その1)わずか4ページの衝撃「高田は二度死ぬ」(1巻・第5話)

 そんな世界観のなかで、僕が思う『神回』の一つ目は、単行本第1巻第5話「高田は二度死ぬ」である。

 わずか4ページ。物語の中では“フラッシュ”と言うに近い。

 体がでかく、「マリオカートで言う『クッパ』みたい」な存在であった高田くんがある日の授業中に姿を消す。生徒たちによる一斉捜索が始まる。ほどなくして、トイレの一つが静かに閉ざされていることが発見される。息を飲む少年少女。

 開けられた扉から出てきたのは、糞尿にまみれた高田くんであり、後に残されたのは汚物が塗りたくられた壁であった。

 以来、高田くんが学校に現れることは二度となかった。その世界から退場していったのだ――。

『岡崎に捧ぐ』1巻

 多分、作品全体のストーリーとして必要なものでもない。高田少年は後にも先にも、この4ページのうちにしか登場しない。ショッキングなほど唐突に、そのトラウマティックな情景だけが、サブリミナルに駆け抜ける。

 でも、“そういうものだ”と僕には思えた。

 その瞬間というのは多分、山本さんにとっても、そこに居合わせた同級生たちにとっても、そして高田少年当人にとっても、何の脈絡も予兆もなく、唐突に訪れた。それが一体何を意味したのかなんて、何年経っても誰にもわからない。説明できない、不条理で残酷なことで、世の中はできている。前振りも回収もない。

 多くの人は、そういった記憶に蓋をしながら大人になっていく。

 だけど、山本さほはそういう一つ一つの蓋をなぜだかたまに開けて、その匂いを確かめる。

 そこから漂ってくる匂いが、物語全体のリアリティを倍増させてヒリヒリする。