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偉大なる同級生、ヒデキ・マツイが教えてくれたこと

文春野球コラム Cリーグ2020

2020/05/22

 高校3年の夏休み明け、不思議なレポートの課題が出されました。

『夏の甲子園での星稜高校・松井秀喜選手の5打席連続敬遠をどう思うか?』

 その年の夏の甲子園大会では、怪物スラッガーとして注目を集めていた松井選手が5打席連続で敬遠されるという事件が起き、世の中が騒然となっていました。今思うと、担任の先生はものすごい野球好きだったんですね。プロではなく、アマチュアの試合でああいうことが起こったことについて、同い年のお前たちはどうとらえたんだ? というわけです。

 野球に全く興味のない女子たちが「ケーエンてなに?」とあっけにとられる中、僕は相手投手の立場に立ち「敬遠が勝利のきっかけになったというのは嫌なのではないか。たとえ負けても相手の4番と勝負したほうが、部活動の締めくくりとして記念になったんじゃないか」といったことを書いたのを覚えています。同時に、まだ何者でもなかった僕は、同い年の高校生の、部活の大会での出来事が学校のレポートの課題になってしまうのか! 授業の題材になるようなすごい経験をしているのが松井秀喜なのか! と、松井という男の存在感に圧倒されたのでした。

 プロ野球ファンなら誰でも、同い年の選手には大きな思い入れがあるでしょう。レポートの一件もありましたが、1974年生まれの僕にとっては何と言っても松井秀喜。甲子園での活躍から引退までリアルタイムで一挙手一投足を追いかけてきました。ちなみに僕はメジャーリーグに行った選手については勝手に名字と名前をひっくり返して呼んでいます。上原投手ならコウジ・ウエハラ。松井選手はもちろんヒデキ・マツイです。

 ヒデキの野球人生は、いったい誰がこの脚本を書いたんだと言いたくなるぐらいの、漫画や大河ドラマのようなものでした。甲子園での5打席連続敬遠に始まり、ドラフトでは監督に復帰したばかりのミスターが自ら当たりくじを引き当てるいきなりのメークドラマ。巨人に入団してからも原さん、落合さん、清原さんとレジェンド級のホームランバッターの背中を追いかけ、見事に球界を代表する4番バッターに育ちます。日本で50本塁打を記録して海を渡り、巨人の4番からヤンキースの4番へ、そして日本人初にして唯一のワールドシリーズMVP。配役、シナリオ、時代……何かが一つズレただけでも成立しない、映画のような美しい20年間でした。

巨人時代のヒデキ・マツイ ©文藝春秋

ヒデキに勇気づけられた「見逃し三振」の夜

 僕は、ヒデキに会ったこともしゃべったことも、一度もありません。それでも、仕事で嫌なことがあった時や壁にぶち当たった時、同い年のヒデキが奮闘する姿に救われたことが何度もありました。例えば収録中、小さなボケを思いついたのに、言えないまま収録が終わってしまう。「なんで俺は言わなかったんだろう」と落ち込む。そもそも些細なネタなのにそれすら言わない。しかも言わなかったことを悩んでいるっておれはいったい何なんだ! とドツボにハマっていくわけです。

 野球で言えば「見逃し三振」です。言って使われなかったとしても、それは「面白くなかった」というディレクターの価値判断の結果だからしょうがない。なのになんでバットも振らずに落ち込んでいるのか。逆に、思ってもないようなことをつい言ってしまう=バットを途中で止めてボテボテのキャッチャーゴロ、なんだよーみたいなパターンもあります。

 そんな悔しい思いをした時、ヒデキの迷いのないフルスイングを見る。すると、空振り三振でもいいからバットを思い切り振って行こうと思いを新たにできたものです。

 ヒデキは引退会見で「長嶋監督との素振りが一番思い出深い」と話していましたが、芸能界やエンターテインメントの世界でも「舞台以外でいかに素振りをしているか」「人の見ていないところでどれだけ努力を積み重ねられるか」が重要であることは変わりません。どんな人でも、何もせずにいきなり舞台に出て歌が歌えたり、面白いことが言えたりするわけではないですよね(芸能界における「素振り」が何かはとても難しい問題ですが……)。もちろん、生まれ持った才能も活動するフィールドも違うけれど、見習えることもあるのかなと思いながらヒデキの活躍を見てきました。