昭和34年(1959年)創刊の総合週刊誌「週刊文春」の紹介サイトです。最新号やバックナンバーから、いくつか記事を掲載していきます。各号の目次や定期購読のご案内も掲載しています。

曽根海成と長谷川宙輝、ホークスを旅立った2人の物語

文春野球コラム Cリーグ2020

2020/05/21

 今年は、私がホークスの取材活動を開始して5シーズン目になります。可能な限り球場に足を運ぶことを大事にしてきましたが、今年は非常事態に見舞われています。もどかしい日々です。本来ならば、現場に足を運び続けることで見えてくるものがあったり、信頼関係を築けたことで話してもらえることがあったり。何より、取材を重ねるにつれ、一人一人の選手やチームに思い入れが深まってきたものです。

 自粛期間中、過去の取材ノートを見返してみました。そこには選手たちが取り組んでいること、悩んでいること、想いなど語ってくれた貴重な言葉たちが綴られていました。中でも、私のノートには育成選手への取材の跡が多くありました。

 支配下選手と区別され、劣等感を感じながらも、負けてたまるか根性で必死にもがいている育成選手に、私自身とても感情移入してきました。私もかなりの負けず嫌いで、これまでの人生悔しいことばかりでした。だから本気の“負けず嫌い”を見ると血が騒ぐんです。

 これから書く2人はとても血が騒いだ素敵な選手でした。ホークスのコラムを書くというのに、2人とも現在はホークスの選手ではありません。スミマセン。でも、彼らがホークスに残した力強い足跡は、選手層の厚いホークスを物語っているようにも感じます。

「赤く燃えるんじゃなくて、青く燃えていきましょう」

 2018年7月22日、ホークスとカープの間で交換トレードが成立しました。ホークスから放出されたのは曽根海成内野手。突然の知らせに空虚感が押し寄せました。素直で負けず嫌いな曽根選手。取材していてつい感情移入してしまう選手でした。だからあの時は寂しい気持ちになりました。

 曽根選手は、2017年3月に育成から支配下登録されました。その年の春季キャンプでA組に抜てきされると、“食らいつく”とはこういうことかと言わんばかりに目の色を変えて取り組み、開幕前に支配下登録を勝ち取ったのでした。育成で入団して4年目。「自分には時間がないんで。今年ダメだったら終わるつもりで」と覚悟を決めていました。その決意を言葉だけでなく、姿勢と結果で示した姿は本当にたくましかったです。

ホークス時代の曽根海成

 そんな曽根選手との会話で一番印象に残っているのは、トレードが発表される2ヶ月ほど前のこと。当時、私は始球式で球速100キロの投球を目指す「めざせ100キロプロジェクト」に取り組んでいましたが、せっかく頂いたヤフオクドームでのチャンスで97キロと目標達成なりませんでした。すると、その結果を気にしてくれていた曽根選手にこんなことを言われたんです。

「惜しかったですね。力んでたでしょ? 僕もその気持ちわかります。僕も打ったろーと思うと力んでしまうんですよね。だから、赤く燃えるんじゃなくて、青く燃えていきましょう!」

“炎は赤い方が熱そうに見えるけど、実際には青い炎の方が熱い”。

 以前の曽根選手は悔しい時、その悔しさが溢れ出て感情的になりがちでした。まさに赤い炎で喜怒哀楽がわかりやすい人でした(だからこそ感情移入しちゃうんですけどね)。

 でも、そんな曽根選手が「冷静な自分でいながらも心の中で燃えるようにしたんです」と話してくれたのです。赤い炎から青い炎へと進化していたのです。

 実はこの頃、既に支配下選手だったのに、なかなか2軍でも出場機会に恵まれず、悔しい日々を過ごしていました。それでも歯を食いしばりながら必死に冷静になろうと前を向いていた、そんな折のトレードでした。さすがにこの時は青い炎ではいられませんでした。苦しい毎日だったけど、大好きなチームメイトとの別れには人目をはばからず大号泣。そんなところも含めて、曽根選手は愛されていました。

 ホークスを旅立った後は、カープで即1軍デビュー。そして、その年の日本シリーズにも出場すると、古巣相手に大事な場面で素晴らしい送りバントを決めました。数ヶ月前まで2軍で出場機会に飢えていた人が、日本一を決める頂上決戦の舞台に立っていたのです。曽根選手が一生懸命やってきたことが花開いた一幕だと感じ、勇気をもらいました。